チームダイアリーをご覧の皆様、こんにちは、4年DF岩垂彦樹から紹介に預かりました4年FW立島栞大です。

 

岩垂とは部活動だけでなくプライベートでも仲良くさせて頂いており、彼の秀逸な言葉選びには毎度感心するばかりです。彼は私を「マウンター」と称しておりますが、全くそのようなことはなく、私は至って謙虚な人間です。確かに彼と違って恋人がいたり、”難関”な資格を取得したりと充実した日々を送れているのは事実です。しかし、それを“マウント”した覚えはなく日常会話に交えて話しているだけなので、彼がそう感じるのはきっと彼の妬みが原因なのでしょう。早く彼の口から“マウント”と感じられるような惚気話が聞けることを楽しみにしております。実際、彼は私の知る中でもトップクラスのイイ奴なので、彼のマウントを聞ける日もそう遠くないと信じています。早く居酒屋でしっぽり飲みながら純和風な彼女を紹介してくれ!!

 

さて、遂に私にも4度目のダイアリーがまわってきました。1度目のダイアリーで決意表明として「敵チームの脅威となる選手になること」を掲げてから約4年が経ちました。この4年間、怪我やコロナで満足にチームに貢献することが出来ず、腐って辞めようとしたことが多々ありました。しかし、先日ようやくイチゴハットという形で貢献を示すことができ、引退も間近になってきたことで、辞めずに続けて本当に良かったなと思えるようになりました。岩垂のダイアリーでの私の紹介文に”本当はホッケーをこよなく愛し、一番引退を寂しく思っている”とありました。引退を寂しく思っているのは事実ですし、毎度恒例のごとく引退時に私が誰よりも号泣することでしょう。しかし、この4年間、いやアイスホッケー人生13年間、この長い年月を振り返った時に引退までこうして続けることができた理由はアイスホッケーに対する愛ではなく、家族や仲間、友達など周りの人達の存在があったからでした。彼らの発する言葉が私を励まし、時に悩ませ、奮い立たせました。彼らの言葉たちがなければ、今の私はいないでしょう。そこで今回のダイアリーでは、「言葉」について私が思うことを書き綴ろうかと思います。拙い文章となりますがお付き合い頂ければ幸いです。

 

皆さんは「逃げたい」と思ったことはありますか?

 

私は頑張ることが嫌いです。體育會という組織に全くもって向いていません。というより、「アイスホッケーを頑張っている」時点で、「アイスホッケーを楽しんでいる」チームのみんなに比べて、組織に適していないことは明らかでしょう。確かにアイスホッケーは好きです。13年間もの期間、関わっているのですから嫌いなわけがありません。ただ、チームのみんなと比べれば、私のアイスホッケーに対する愛は微々たるものです。時間があればビジターに行ったり、プロの試合を観戦したり、移動時間ですらNHLのハイライトを観たりと、彼らのアイスホッケーに対する愛には驚くばかりでした。そんな集団の中に「まあアイスホッケー好きだなぁ」くらいの人間がいるものですから、向いてないことは明白です。辞めよう、逃げようと思ったことは何度もありました。

 

特に2年生の秋頃は本気で辞めようとしました。

 

2年の夏、大怪我をしました。10年近くアイスホッケーをしてきて、初めてでした。正直、心のどこかで自分は怪我をしない人間なんだと思っていたので、当時は物凄く落ち込みました。(長谷部くんまだ慰謝料は受け取ってないよ?)落ち込みましたが、リハビリ次第でシーズン内に復帰が可能と診断されたことで、気持ちは上向きになりました。リーグ戦の観客席で観たチームが苦戦する姿は、リハビリを頑張るには十分な理由でした。正直、自分が戻ればチームが良くなるのでは?と心のどこかでそう思ってさえいました。しかし、現実はそう甘くはありません。復帰しても、復帰前のプレーとは駆け離れたものであり、活躍など以ての外。動きもそうですが、特に「心」が復帰前とは違いました。フェンス側を走る勇気、敵の前に入る勇気、全て怪我をきっかけに失いました。ただでさえ小さいFWに戦う勇気すらないのですから、利用価値はありません。心の奥底では分かっていました。でも、自分が試合で使われないのは指導陣のせいだと嘆き、必死にその事実から目を背けようとしました。本気で逃げたいと思いました。というか逃げようと、辞めようとしました。しかし、辞めないで済んだのは家族と同期2人の言葉があったからでした。

 

私の家族は周りの家族と比べて口数が少なく、あまり活気のある家とは言えません。かく言う自分も「これ話して何になるの?」という感情が沸くので自分のことは全く話しません。ですから、当時もあまり自分の心境について話していませんでした。しかし、メンタルが弱い私ですから、辞めようと決意するのにそう時間はかかりませんでした。「辞めたい」、家族に言いました。「自分は悪くない」と、自分には目を向けず、お得意の”言い訳”を披露しました。すると父は黙って聞いた後、こう言いました。「栞大の選択を応援するよ。ただしよく考えなさい」と。正直、父は絶対に辞めて欲しくなかったと思います。自分のためではなく、子供のために経済面、身体面など多大な労力を注いだスポーツを、それっぽい理由をつけて中途半端に辞めようとしているのですから。自分がされたら堪ったもんじゃありません。しかし、父は「応援する」と言ってくました。いつでも味方だと言ってくれるようでした。この言葉が私の支えとなったことは言うまでもありません。

 

また、同期2人にも相談しました。小2以来の仲である誉とよく話す犀川です。またここでも、自分の問題に目を背け、相談を、いや言い訳をしました。「自分は悪くない。おかしい。」と、2人は黙って聞いてくれました。そして最後に「辞めるのは自由だ。たとえ辞めても仲良くしよう。ただ可能なら一緒に引退したい。」こう言ってくれました。続けるにはこの言葉だけで十分でした。その後も3年の春くらいまでは辞めようと画策していましたが、なんとか辞めずに済んだのはこの言葉があったからです。

 

この2つの言葉が当時の私を支え、繋ぎ止めてくれました。たぶん、言った本人は覚えてないと思います。そんな何気なく言った一言が、私を救ったのです。

 

また、私にはいつも支えになっている言葉があります。父の「頑張ってこい」です。

 

幼少期から試合や試験、面接など、父は私を送り出す時に一言だけ「頑張ってこい」と言います。もはやルーティン化されたこの言葉が私のスイッチを入れ、奮い立たせます。この言葉が私を勇気づけます。これからもずっと「頑張ってこい」お願いします。

 

言葉には大きな力があります。言った方がいいこと、言わない方がいいこと、沢山あります。正直、その匙加減はとても難しいし、時に自分の意思と反した捉え方をされる事さえあるでしょう。ただ、一番勿体無いのは「言わなくても分かる」と思うことだと、私は思います。家族、同期が言ってくれた2つの言葉も「言わなくてもわかる」と彼らが判断し、私の言い訳だけに耳を傾けていては伝わらなかった想いです。どうか、これを読んでくれた皆さんは自分の想いを言葉にして欲しいです。そして「言葉」で人を励まし、奮い立たせ、救ってください。

 

最後に、私がチームを辞める事なく引退を迎えようとすることが出来たのは「チームのみんなが大好きだから」です。本当にありがとう。インカレ、早慶戦と僅かしか残されていないけど、最後までよろしくね。絶対勝とう。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次のダイアリー担当は4年FW藤英俊です。藤は高身長で頭も良く、スポーツもなんでも人並み以上にできるのですが、チャンスをものにする力だけありません。常に虎視眈眈とチャンスを狙っているのですが、気づけば4年が経ってしまいました。この決定力では、たぶんもうこの先もチャンスをものにすることはないでしょう。同期の犀川君を見習って欲しいですね。そんな決定力のない藤君も最後のダイアリーくらいはバシッと決めて欲しいものです。それでは藤、しっかりね!