こんにちは。経済学部4年の鶴薗です。
遂にラストブログの時が来てしまいました。
高校葉山で入部し、大学三年で復帰してからはや五年、長い様であっという間の現役生活でした。
もう毎日の様にあった朝練や、長期休みの殆どを費やす合宿に行かなくて良いと思うと、嬉しい反面やはり悲しい思いが勝ってしまいます。
まだ引退して2週間ほどですが笑笑、、
体育会という組織に所属し、運動部の中でも過酷な部類の葉山での生活は、辛い事も沢山ありましたが、それ以上に毎日が楽しく充実し、自分を選手としてだけで無く、人として育ててくれたと強く感じています。
間違いなく、今までの人生で一番濃い思い出がこの葉山での5年間に凝縮されていますし、自分の青春の全てを「葉山」という言葉で表せる気がします笑。
最後のブログなので、この場を借りて自分の葉山での生活を振り返ってみたいと思います。かなり長くなりますが、お付き合い頂けると幸いです。
実は僕の葉山との出会いは受験期に遡ります。高校受験の最中、行きたい学校を見比べる際に部活動を一つの指標として見ていました。アメリカに住んでいた頃から中学3年間続けていたバスケでは、自分の活躍出来る限界が見え始めていたので笑、何か全く新しいスポーツに挑戦したいと思っていました。そんな中、塾高の部活紹介のパンフレットの中で一際目立つ部活動があり、一瞬で取り憑かれたのを今でも覚えています。
屈強な男達が大海原を、40kmという途方もない距離を泳ぎ切るという、衝撃の事実、、
かっこいい、、
当時ちょっとマラソンをかじっていた自分は「これしかない、、」と心の中で即決していました笑。
そこからの行動は早く、入学して間もない頃に、競泳と迷っていた下出を引き連れて葉山の門を叩いていました。
矢沢、永井、新保、中島、下出、三好、橋本
最高の同期に恵まれました。当時の先輩やこの後入ってくる後輩達も含め、高校葉山での3年間は人の良さに支えられた部分が多いにあります。
毎日の様に練習で顔を合わせ、合宿中は1ヶ月に及んで同じ釜の飯を食います。
もちろん嫌な一面も見る事になりますし、喧嘩も沢山しました。
それでも誰一人として嫌いになった奴はいません。
皆んないい奴らです。そこが一番の葉山の良さなのかも知れません。
選手としては、
一年目、、同期全員で塩見ー岩井間15km遠泳を完泳し、
二年目は、、琵琶湖縦断40km遠泳に挑戦し、高校生としては6年前の笠原さんぶりに完泳する事が出来ました。
三年目は、、台風の影響で第一遠泳は泳ぐ事が出来なかったものの、初島熱海間団体競泳大会で大学チームを破って、見事6位に入賞する事が出来ました。
泳法はさておき笑、これで葉山の全てをやり切ったと感じた自分は大学ではまた新しい挑戦をしたいと思っていました。
しかし、コロナの蔓延、、
外出自粛を余儀なくさせられ、気付けばプー太郎になっていました笑笑。
大学一、二年の頃を思い返すと何も浮かんできません笑。
念願の運転免許を取りに行ったり、高校葉山の同期と遊びに行ったりと、それなりに色んな事をしたと思いますが、どれも薄っぺらい記憶ばかり、、
心の中に大きな穴が空いた気がしました。
最後の学生生活、、こんなんでいいのか、、
何かに打ち込んで熱くなってたあの頃が恋しくなり、気付けばまた葉山の門を叩いてる自分がいました。
大三から今更入れてくれ何て、図々しい願いであるのはこの上ないですし、
コロナ禍の中、大一の頃から続けてた同期からは、あまり良く思われない面もあったかと思います。
それでも入部の許可を出して下さった飯田さん、片桐さん、快く受け入れてくれた部員の皆んな、そしてOBやコーチの方々には頭が上がりません。
共に笑い、共に泣き、一つの目標に向かって皆が一丸となって奮闘するこの部活で、
自分に居場所を与えてくれて、ありがとうございます。
大学三年時は、、
二年ぶりに泳ぐブランクを埋める事に必死だった1年間でした。復帰した2週間後に10kmトライアルがあり、その1ヶ月後には第一遠泳長時間が控えていたりと、、
空いた差を埋める為、奮闘しました。
その結果、駿河湾横断40km遠泳を何とか完泳し、夏が終わる頃にはやっと本来の泳力を取り戻す事が出来ました。
大学四年時には、、
第一遠泳の完泳に加え、初熱への出場を目標としました。
三木、篠田、中島のトップ泳者に追いつくのは容易では無く、トップを目指さなくとも、どうやったら初熱の出場枠に組み込めるのかと、日々奮闘しました。
結果、二月の10kmトライアルでは部内2位のタイムを叩き出せたものの、四月の初熱選考では惜しくも敗れてしまい、初熱出場の夢は途絶えました。
しかしその後暫くして、中島が研究室の予定で出場出来なくなり、急遽初熱泳者への昇格が決まりました。
正直当初は一度選考で敗退した身であったが故に、あまり泳ぐ事に対して乗り気ではありませんでした。トップの三木と篠田ともその時は雲泥の差がありましたし、足を引っ張るのは明白でした。
ただ誰より初熱を楽しみに、共に切磋琢磨してきた中島が出れなくなった無念、更には、初熱の成功の為に、戦略やOBとの仲介で尽力してくれた中島の姿に、背中を押されました。
間違いなく今回の初熱は、宮田コーチと岩崎コーチの多大なるお力添えに加え、この四人で泳ぎ、この四人で勝ち取った準優勝です。
中島、本当にありがとう。
最後に第一遠泳について、、
人生最後の遠泳は、人生で最も辛い遠泳でした。40km先のゴールを目指し、11時間半も足掻き、到達したのはたった15km先の洋上。これが遠泳か。。
有終の美を飾りたいと、ただ一人ふんどしで泳いだ事も仇となり、パラシュートの様に股間の間ではためくふんどしは、まるで引退を急ぐ自分を引き留めている様でした。
泳力がいくらあっても乗り越えられない自然の壁、
身を削る様な想いで痛みに耐え、砂地に足が付く瞬間を夢見て、ただがむしゃらに泳ぎ続けた末に訪れた現実、、
数年ぶりに船の上で男泣きしました。ただただ悔しく、ただただ無念で、、
これが最後かと、、
ただ嬉しかった事もあります。それは後輩達の逞しい姿を見れた事です。
誰よりも強い想いで先頭を張り続けた三木、、
それに必死に喰らいつく大学二年生の泳者達、、
船の上からは一年生の子の声援が誰よりも響いていました。
葉山の未来は安泰だ。そう心の底から感じる事の出来る遠泳でした。
遠泳は過酷なスポーツです。どれだけ死ぬ気で頑張っても、海象に恵まれない年はありますし、努力が報われない年もあるでしょう。
でもだからこそ、一年でたった一回しかないチャンスに全てを掛ける意味があり、
だからこそ、完泳出来た時の喜びは計り知れない物になるのだと思います。
まだチャンスが残っている者達はその想いを胸に、一つ一つのチャンスを大切にし、全力で挑んでいって欲しいと思います。
心の底から応援しています。
さて、だいぶ長くなりましたが、そろそろこのブログも締めくくりたいと思います。
その前に僕の座右の銘を一つ、
「It’s ok to stop, you just have to keep on going…」
「立ち止まったっていい、進み続けるのであれば」
どこかで拾ってきた言葉なのか、はたまた自分で考えついた言葉なのか、、
真相は定かでは無いですが、受験期の頃からこの言葉が僕の支えとなりました。
サボり癖のある自分にはぴったりな言葉ですが、これは誰にだって当てはまる事だと思います。
怪我にせよ、スランプにせよ、時には理由が無くたって一度立ち止まってみても良い。
自分が進んできた道を振り返って、ここまでやって来たんだと、、
ここで諦めるのはまだ早いと、、
もう一度初心に戻って、己の目標を目掛けて進んで行って欲しい。
最後に、体育会水泳部葉山部門の更なる健闘を祈って
Fin