少し前に亡くなった方の、噂話だった。
嬉々として語る方は、楽しかったのかもしれない。
そして、聞く私の方は、、
うん、興味がないと言えば嘘になる。
へぇー、びっくり!
と言うことばかり。
でも、聞いていてだんだんと悲しくなってしまい、
とうとう、
「どうして私にそれを話すのですか?」
と尋ねてしまった。
多分に非難の思いも混じらせて。
なぜなら、その故人には、好意を寄せていたから、まんまと騙されていた、というのはかなり堪えることだったから、
話す方は、いろいろな理由を出して説明してくれたのだが。(まさに”説明”という言葉が相応しかった^^)
それを聞きながら、私には昔の記憶が甦ってきていた。
国際空港の待合室、
私はある人の人伝の噂話をしていた。
とても尊敬する人に向かって、
共通の友人であった、ある人が、
私たちに酷い裏切りをしたのだと、
切々と訴えていた。
私は、それを、尊敬する人に教えてあげなければ!と思って話した、のだけど、、
本音を言えば、
尊敬する人と話をする話題としたかったことと、
その裏切りの噂話を、誰かに話すことで、
自分の心の重荷を下ろしたかったのだ。
その重荷が、そのまま、尊敬するその人にドサリと下りることにも頓着せずに。
私はあの時、途中で自覚しながら話していたっけ。尊敬する人は、ただ頷き、相槌をうちながら、そう、そう、と聞いてくださった。
私みたいに、非難することもなく、ただただ受け止めてくださった。
あれから、10年以上も経って、
あの時の私の行動の浅はかさが分かります。
あなたの為に、の押し付けがましさと、
いくら誤魔化しても、
誤魔化しきれない独りよがりと。
いつかわかる日が来ると、
思ってくださっていたのだろうか。
それとも心の中では、軽蔑していたんだろうか、、ないな笑
尊敬する人に褒められたくての、
カッコ悪い行動の数々を思い出して、
しかし、ただただそんな自分が愛おしい。
たくさんの失敗も、
こんなに時間が経ってからでも、
しっかりと反省することもできる。
私は、してもらったことを、
別の人に送ることは出来なかったけれど
本当の優しさは
相手にさえ気付かれないことなんだと分かってしまうと、、
すぐに、結果を出して、褒めて欲しい私にとっては、なかなか困難なものだと思う。
自分で自分を褒めて認めていくとしよう。
さて、冒頭の話ですが、
散々に言われた故人ではあるが、
私の故人への思いは全く変わらず、
故人の言葉にはたくさんの嘘(というより、誇大広告的な)があったとしても、
故人のありのままの姿は、
私にとっては変わらないものであったことが嬉しかった。
亡くなっても、やはり、
魅力的な人であり続けることは変わらないし、記憶の中のその人を見返したい思いも変わらない。
この胸の中に、確固としたものがあれば、
噂話はそれを揺るがすことは出来ないとも知り、それも嬉しい発見だった。