脳腫瘍 発見!! | オーストラリア子連れ冒険記

オーストラリア子連れ冒険記

シングルマザーになり損ねた脳腫瘍を患った日本人ママが、子ども二人を連れてのオーストラリア珍道中冒険譚。

33歳のある日、私の頭の中に

脳腫瘍が偶然見つかりました!!

今考えると、これも偶然では

無かった?…のかも知れません。

でも、その時はまさに

「晴天の霹靂!」

という感じでした。

 

息子は小2、娘は年長さん

になったばかりの春でした。

それまで専業主婦で

旦那は子育てに無関心、

実家には帰り辛い状況で、

1日たりとも離れた事がない母子には

入院で数週間離れる(または

運が悪ければ、まだ小さい

我が子達と死別…?)と考えて、

想像を絶する辛い出来事でした。

 

当時、主人が浮気をしている??

と薄々感じて何度問い詰めても

「お前の被害妄想」

「お前がそんなだから

帰りたくなくなるんだ」

と言われて、自分を責め

自信を失っていました。

何かが間違っている……??

と思いつつ、どうしていいのか

分からず、毎日が苦しい日々でした…。

 

ある時、後ろを振り返った時に

視界に入らなかった大きな柱に

頭を強打してしまって

たんこぶを作ってしまいました。

でも、自分のおっちょこちょいは

いつもの事なので、気にも留めて

いませんでした。

 

次の日、幼稚園ママと二人で

終業式の日に、担任の先生に

お礼の気持ちとして、父兄から渡す

お菓子とお花を買う予定で、

まずは近所のお花屋さんに

買いに行こうとした時です。

とっさにお花屋さんの場所が思い出せず

自分の足を、右に出すのか?

左に出すのか?が決められず、

呆然と立ちすくんでしまいました。

初めて経験する感覚にゾッとして、

その足で看護師をしているママ友の

働く脳神経外科に行ってCTを

撮ってもらうことになりました。

頭を打って記憶を失った!

と思い込んでいました。

結果は……「記憶は大丈夫ですが、

視神経のそばにかなり大きな

腫瘍が写っています。まだ

悪性か良性かは分かりませんが

手術をお勧めします。」

とのことでした。

 

早速、ネットで症例数の多い

設備の整った病院を検索。

すぐに一番近い〇〇大学病院が

ヒットしました。

ここにしよう。。。そう決めて、

そこへ予約を入れようと思いつつ、

当時、習い事で大忙しだった私は

予約をいれるのを先延ばしにしました。

その日も、気の弱いいじめられっ子だった

息子を鍛える為に週2回通っている

空手の日だったので、死んだら

これが最後の空手だな〜と思いつつ

近所の小学校に向かいました。

 

いつも仲良くしてもらっている

可愛い子供達にお別れを言おうと

練習が終わってから、

「おばちゃん、今度から

空手来れなくなっちゃったよ。

”脳腫瘍”っていうのが頭に出来て

手術しなくちゃいけないんだ。」

と、いつも一緒に練習している

仲良しの小学生3人兄妹に

「”脳腫瘍”なんて難しい言葉

分かるかな〜??」と思いながら

話しました。

 

すると、偶然にも、今まで一度も

聞いていなかった事ですが

「うちのお父さん〇〇大学の

脳神経外科のお医者さんだよ。

お母さんは看護師さんだから、

うちに相談しに来たらいいよ!!」

と言ってくれたのです。

 

「こんな偶然ってあるの〜??」と

思いつつ、次の日、彼らに連れられ、

ご両親の住むお家までCTを持って

お邪魔することになってしまいました。

お父様直々にCTを診断して下さり、

「こんなこと言うのは何ですが、

今、〇〇大学の脳神経外科は

上の者がみんな異動になり、

経験のある者がほとんど不在です。

もし、私の妻が手術というなら、

私は△△大学病院に行かせます。」

と正直に内情を話して下さったのです。

 

私は有難く、そのアドバイスをもとに、

迷いなく、△△大学病院を受診。

偶然にも、小学校からの親友の

旦那様が、その大学の麻酔科医

をされていて、脳神経外科の教授を

その旦那様から紹介して頂き、

麻酔は顔馴染みの彼にお願いして

やって頂くことが出来たのです。

そういう経緯での手術だったので、

手術に関しては全く心配がなく、

安心してお任せする事が出来ました。

 

腫瘍が視神経の横にあり、

頭部を切って取り出すのは不可能

とのことで、口の中から鼻に

耳かきのような物を通して

”腫瘍を掻き出す”という手術で、

他の患者さんのように、

手術前に髪を剃ったり

放射線治療もなく、

退院後すぐにもとの生活に

あまり誰にも知られずに

戻ることが出来ました。

幸い、腫瘍は粘液性の良性で、

今後、また大きくなって

視神経やホルモンを司る神経を

圧迫すれば、失明や昏倒などの

危険な症状が起きる可能性もあるが、

大きくならなければ問題ない…

とのことで、制限の全く無い

すっきりとした退院でした。

 

その入院生活中に、

たくさんの脳腫瘍患者さんや

そのご家族の方々と知り合い、

今までの人生観、価値観を

大きく覆してもらいました。

昨日まで元気に病棟を歩いてたり

おしゃべりしていた仲間を

手術でたくさん失いました。

 

小さい頃から何度も手術している

1年生の男の子のお母さんが

「小学校に1日でも通わせたい」

という夢を持って闘病されていて

学校が「危険だから責任持てない…」

と受け入れをしぶるのを

お母さんが、学校を説得して

同級生には「その子の頭の骨が

度重なる手術で脆くなっていて

ボールなど当てられたら

死んでしまう危険性」などを

何度も説明に通って やっと

”1日だけ”学校に行くのを

許可され行けた事を、涙を流して

喜んでおられていました。

「またもう一度、学校に1日でも

行かせたい!」と希望を持って

看護師さん以上にかいがいしく

付き添って看護されているのを

見せていただきました。

 

子どもを”賢く強く出来のいい子”に

育てようとしていた私の子育ては、

結局は、他人の目を気にした

単に親の都合の子育てであって、

こんなに大切で貴重な日々を 

親子で楽しんでいたのではなく、

いつか子供達が成功する日の為に

「やるべき事をやる」だけの毎日

を送っていただけだった…

と気づいたのです。

 

「生きてるだけで丸儲け♪」で

”「いまる」ちゃん”と

娘さんに名付けたサンマさんは

本当にすごい人です!!

その通りなのです!!

 

「子どもが生きていてくれる !」

それだけで、何と贅沢で

幸せな事なんでしょう!!

世界が大きく色を変えて

見えるようになりました。

 

子供達をありのまま受け止め、

したい人生を生きさせよう!!

そして一緒に毎日を

思い切り楽しもう!!

したいことしないで死ぬ

なんてもったいない!!

 

生きる力が漲って来ました。

出来が悪いと思っていた子供達が

可愛くて愛しくて輝いて

見えるようになりました。

家族を大切にしない旦那なんか

いらない、離婚してしまおう!

死ぬまで子供達と一緒に

自分達のしたいことをして

3人で楽しんで生きよう!!

そう心に決めて退院しました。

 

さてさて、ここからが現実問題。

子供と楽しむにはお金と時間がいる。

シングルマザーは子供と楽しむ

「時間」も「お金」も不足する。

子供達は離婚なんかして欲しくない。

うちの親も離婚には反対。

旦那も別れる気など全くない。

 

…というので、離婚はとりあえずせず

経済的に独立せず、精神的に自立して

自分の旦那から離れた所に1年間住んで

毎日子供達と思い切り遊びまくって

「ワクワクした人生を送ろう!!」

そう、心に決めました。