何年か前、日本で流行っているというので息子に買って、自分でも読まずに戸棚の隅に積読されていたこの本。



なんとなく目に留まってパラパラめくってみたら


ムムム!!!これは!!!((((;゚Д゚)))))))


これは是非息子にも読んでもらいたいと思い、


こういう本あるの覚えてる?


と言って見せたら、


読みたいけど、漢字が読めなくて挫折しそう


というので、私がまず読み仮名をつけながら読んで、息子に渡す事にしました。


考えるとは

自分とは

善悪とは

生きる意味とは


答えのない問いに、真っ向から向きあって考えて行こう、考え始めた時から君の冒険は始まる。


なんて素敵でワクワクするんだろう(*゚∀゚*)


自分は自分で他人じゃない(逆も然り)

世界は自分(精神)の中にある

人生は自分の思う通りにしか進まない、何故なら自分がそこで選択しているから(その意味で『今』しかない、だから過去への後悔も未来への憂いもない)


死はない、無というものもない。

(これは私にはよく分からない、というか全く分かりません。)


言葉は確かにある。言葉があるから考えることが出来る。


一生かけて考えるテーマです。


実は息子は、アビトュアの勉強をすっかり放棄していた時、こんな事ばかり考えていたらしいんです。(゚ω゚)


大切な事だけどね、要領よく生きるっていうのも大切だから、まず大学入ってからこういう事考えても良かったんじゃない?!


と、ずるい大人の私は思ってしまうけど、(確か当時もそんな事言い放っていました。T_T)


まぁ、人生で最も重要な事と言っても良いかも。終着点がない、正解がないのが残念だけど!

(*≧∀≦*)


あの時(息子の無気力反抗期)、いくら私が何を言っても彼に何も伝わらなかったのは、私の意味する言葉が本当には伝わっていなかったからなんだ、と今は思います。


以前、言語学入門の講義で『コノテーション』と『ディノテーション』について習ったのを思い出しました。言葉は確かに伝える物ではあるけれど、本当に私の使う言葉の意とする所は誰にも全く正確には伝わらないのかもしれない。むしろ言葉というのは言葉を発する人が考えるための手段としての役割の方が大きいのかもしれない。


つまんない事言ってるな〜と思ってたけど、とても奥深いし面白い。もっとちゃんと勉強すれば良かった!^_^;


それから、自分の事も分からないのに、他人、つまり自分以外の人の事が分かるはずがない、という当たり前の事が納得出来るようになると、ずいぶん人の悩みは減るだろうな、とも思いました。


相手もこうあるべき、という思い込みは自分を苦しめる。『こうあるべき』はその人が自分で決める事であって、その人本人が自分で気付かなければいけない。


本とは関係ない感想になってしまいました。

^_^;


著者の池田晶子さんは早逝されましたが、彼女の考え、問いかけは、こうしてどこかでいつまでも続いていくんですね。


そういう意味で『死』や『無』はない、のかな。分からない!


一生で手にする本、読める本の量というのは限られているけど、この本に出会えて良かったと思える本でした。(o^^o)