小学3年生の時、毎日日記の宿題があり、
そこで先生に言われたことは今でも忠実に
守っている恵子です。
その1、今日のことを書くのだから「今日は」
から始めない
その2、自分のことを書くのだから「私は」から始めない
ごもっともである。
小学2年の息子にも同じことを言ってやるのですが、聞きゃしないわ
ということで、先ほど月に一回ある定例のお茶会に参加してきました。
1年綴りの券を強制的に購入させられるので、
行かないと勿体無い…
↑そもそもがこういう心理でお茶会って行くものじゃないんですけどね
予定が入っている時は、あ、今日は行けないや
って逆にほっとするんですよ。
これってお茶会としてどうなんだ、と甚だ疑問を
抱えながら、今日もとぼとぼと向かいました。
もちろんみんながみんな、そうではないですし
私いち個人の思いなのでそこは念押しね
でも何が私にこんな思いをさせるかというと
それこそお茶会あるある、言うよ?
・正客がなかなか決まらない
・正客席がいやだから、人を押しのけて我先にと茶室に入る人ばかり(今日も押しのけられました)
・自分の席さえ確保できればいいのだと、すごく中途半端に座るから後から入る人の場所がなくなる(私の場所すごく変な場所でした…)
・知ったかぶりをする人が必ずいる
・エレベーターで開を押していても誰も何も言わずに入る降りる
だから行きたくないんですよね…
「日日是好日」の映画のワンシーンにもありましたねお茶会あるある。
いやさ、それ以前に
茶道を嗜んでいて、何を学んでいるの、ってとこね。おもてなし、相手を思いやる、それが
お点前よりも基本だと思うのです。
何のためにお茶会をするのか
私にはそれが理解できないお茶会が多く、ならば誰もが
楽しめる「お茶会」をひらこう、
そういう確固たる思いで昨年からお茶会をはじめています。
「高すぎるお道具、箱書き必須」そんな物質的ではなく
精神的に高いお茶会をまた今秋にふたつ
開催予定ですわたしゃ、やるときゃやるのよ。
また告知いたします