Part③
〜風疹をつくったわたしの話〜

①②で両親の事を話しました。

風疹の事は、両親の話と直接には結びつきません。

大人になってから私の身体に現れた事や、人生で経験した事には、両親との関わりが大きく影響していたと感じているため、先に話しておきました。

私は絵を描く事が大好きでした。
怖くて一方通行な父との関係性、心や躾けの交流がない母との関係性。そうなると、自分の気持ちを言葉や態度で表現することが上手くできなくなります。
代わりに絵で自分を表現して発散、満足していたと思います。
漫画を描いたり、絵日記も毎日ではありませんでしたが、高校生まで書いていましたね。

だから自分の中の自慢は図画工作の成績が通知表で5だった事。当時それが「自信の支え」になっていたと思います。

ところがピンチがやってきます。
小5の図画工作。次回は木工。「木の板と棒、プロペラ、ゴムで飛ばせる飛行機をつくる。家からそれ用の木製板と棒状のものを持参するように」という連絡網がありました。

母親に一応それらを伝えますが、ケチが趣味で、子どもの躾けや教育の仕方がよくわからない母は、家にあるもので適当に済ませるよう、こんな提案をしました。

蒲鉾の板、割り箸

そう。これなら家にあるもので済ませられます。母にとってはグッドアイデアです。

「え。この分厚い板とまっすぐじゃない割り箸の棒。飛行機飛ぶ?」

でも上手にそれを伝えられない自分。無理でしょ、と思いながら学校へ。

案の定、同級生は文房具屋さんで買い揃えてもらった薄いベニヤ板や竹ひごを持参していました。

それをみて瞬間「今期は図画工作、2テーマしかない。うち1つ飛ぶ飛行機が出来なかったら、通知表の5は無くなる」と感じました。

やだやだやだ。唯一の自分の自信の支えが奪われるなんて。どうしよう。でも余分な板を持っている子は居なさそう。
ラッキーな事は、たまたま担任の石川先生が出張で自習になっている事。解決策を考える時間はある。家で作って明日先生が来るまでに持ってくる?でも果たして母はベニヤや竹ひごを買ってくれるか?くれなかったらアウトだ。
「どうしよう。神さま助けて!」
同級生がワイワイしながら工作している中、分厚いかまぼこ板を冷やかされないよう手で隠しつつ、必死で考えで祈った。

すると、
「桂子ちゃん、どうしたの!?顔赤いよ!」
とクラスの女の子が私を見て叫んだ。顔に赤い湿疹が出ているという。みると腕や脚にもポツポツと出始めてきた。
保健係の子に連れられて保健室へ。
風疹と判断された私は早退を言い渡されました。

病院の診断も風疹。数日は学校をお休みする事に。
風疹は学校保健安全法で「発症後5日を経過し、解熱した後2日を経過」しないと登校できないようになっている。
おかげさまで、テーマの飛行機作り2回分の図画工作をクリアする事ができ、通知表の5は守られたのでした。

小5の私は、病院でも風疹と言われ、手脚の湿疹を自分の部屋で見つめながら、「神さまは心の声が聞こえたのかな」と自分の願いが叶った事を不思議に感じていました。

以上風疹をつくった話でした。

2月21日朝6時からの倫理法人会モーニングセミナー講話では、大人になってからのあんなこんなの体験談もお伝えする予定です。
無料でどなたでも参加できますので、興味のある方、お待ちしていますね。

Olive桂子