以下は娘がよく言っていることです。 

今私はいっぱいいっぱいだから連絡してこないで!!と
思うと
余計に連絡が入り
イライラが募ることが多い。 



イライラして
気が散ってる時というのは
本当に四方八方に自分が念を飛ばしまくっていて
それを受け取った人が返してくれちゃっていると。 



忙しい時ほど悟りの境地みたいな気持ちでいれたら良いのに、
ですって。
それには私の場合もお悩み相談が重なることが多いので
同感です。



 生きている時ですら
入れ物の身体はひとつしか
ない中でたくさんの気を飛ばしているのですから、
亡くなって魂だけになってしまうと、その気、及び念の分散作用はより強くなると思います。
それは、悪い場合でも、良い場合でも同様です。 



入れ物がないことで
フットワークが軽くなって、
呼ばれると
いろんな場所へ瞬時に時には同時にテレポートできてしまうんです。 




悪く言えば邪気や穢れも
そうなってしまうこともあり得るし、
良い場合は
自由と安らぎを得た故人の魂が
あちこちに飛散して溶け込んでいることもあります。 




分かりやすく言えば南総里見八犬伝の数珠が飛び散ったり、
アニメ犬夜叉の四魂の玉みたいなのが、近いイメージでしょうか。

遺されたひとたちが
例えば
木漏れ日の中に、
ふと庭で佇んでいるときに、
それとも出会った
全く違う誰かのなかに
懐かしいだれか(故人)を感じたなら、その時は本当にそばにいてくれて、見守ってくれているのだと思います。

神様の場合分御霊という言葉がありますが、それは人の魂においても同様で離散作用を持っており、一箇所に留まることなく、
分散できる仕組みを持っているように感じます。

娘の中にも
たまに血縁の故人を感じる時がありますが、
娘がその人の生まれ変わりだとか、そんな簡単なものではなくて、その故人のDNAだったり
娘への愛情みたいなものが残像みたいに残っていて守ってくれているのだと思います。


離散と集合を繰り返しながら
命を育み繋いでいる私たち。
その軌跡にいつも感謝しなければならないと思います。

















今日は、中洲の夜でした。