井上咲楽ちゃんが
東京マラソンを完走しましたね。


走り終えた感想では、
辛いのが、楽しかった
と語っており、その人間力、バイタリティの素晴らしさに感銘を受けました。


眉濃ゆキャラで売り出したかと
思うと、
バラエティでは無人島では、雨降らしを食べてみたり、何に対してもひたむきに全力で取り組んできた咲楽ちゃん。
眉を綺麗にしてからはぐっと
垢抜けましたね。
名前は楽しく咲く
と書きますが、その道は決して平坦な道ではなかったでしょう。
新婚さんいらっしゃいの
MCに抜擢され、大河にも出演した咲楽ちゃんの最近の活躍には目を見張るものがあり、この頃は、頑張れ、咲楽ちゃんと親目線で応援しています。



プライベートでは
オズワルドの畠中さんと交際しており、プライベートも
絶好調かと思いきや、
畠中さんが腎臓がんを患って
手術していたことを知りました。
初期のものだったそうで
よかったですが、この事実を
知ると、なおのこと気丈に振る舞っていた咲楽ちゃんに泣けました。

咲楽ちゃんの咲かせる花は、
何ごとも楽しみながら全力を注ぐからこそ、
咲かせられる花
なんだろうなと思います。
そして咲楽ちゃんは、周りを楽しませてくれる
明るい花なんだと思います。



桜楽ちゃんだけど、桜🌸では、なく
明るい黄色ポピーや、人を癒す
菜の花畑や、黄色のラナンキュラスみたいな
明るいイメージですね。
咲楽ちゃんの益々の活躍を願っています。







八木重吉さんの花という詩に、

花はなぜうつくしいか
 ひとすじの気持ちで
 咲いているからだ 


という詩があります。咲楽ちゃんのひたむきさを見ていてこの詩を思い出しました。
はじめから花をつけている花なんて無いんですよね。
花として生まれても、ひたむきに一生懸命に花を咲かせようとする姿に、人々は魅了されるのです。


それなのに
生まれつき自分は花だといわんばかりに、本当の自分のありのまま(こういう人の場合はただの我儘)を受け入れろと主張する人たちが後をたちません。
たとえば、メーガンとか最たる例ですね。



本当にありのままで良いわけないでしょ?素直さは良いけれど
親しき仲にも礼儀はあり、
思いやりは忘れてはなりません。


ありのままを自己流に勘違いしてる人が多すぎやしませんかね。
アナ雪でありのままの〜と歌っていたエルサも、自分の魔法で周りを傷つけまいと葛藤があった訳で、ただ自分の我儘に振る舞おうとしたわけではないはずです。


ありのままを勘違いして
我儘に振る舞う人たちには
彼氏が病気で不安でも、
明るく気丈に振る舞って
笑顔で手術室へ送り出した
咲楽ちゃんの垢を、煎じて飲んでもらいたいくらいです。