占い師(カウンセラー)をしてるから、
なおさらそう思うのかも
しれませんが、
あらゆる人間関係には
背景を読む想像力、
行間を読む能力が必要だなあ
と思う今日この頃です。


人間が人と人の間と
書くように
あらゆる物語はこのあいだ、
冷静と情熱のあいだ、
心の余白、
離れた空白の時間、
会えない日々の切なさ、
もどかしい距離感から
生まれてくるものだと思っています。


そしてこの間には
アンニュイさやグラデーションは美しくもあり、芸術的で
情緒的な
風情さえ感じさせます。


それはまるでグラデーションから段々と色を変えていく美しい
空模様のようです。
清少納言も、夜から朝に切り替わる間の光景を以下のように美しく切り取っています。


春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 


また
行間を読むってことばに由来してカルテットでは
行間案件って言葉を高橋一生が
言ってましたが、この言葉には
大いに共感します。



世の中、いまも
行間案件だらけの
はずなのに、
音楽も年々前奏や間奏が短くなって、
現代社会はずいぶん短気で、
情緒的でなく、無駄に生き急いで、SNSで人の批判ばかりする
風潮になってしまいました。


有線で懐メロを聴いていると
SNSが全面的になる前の
昔の前奏や間奏の長さと
美しさに改めて
驚き、心を動かされます。


前奏で想像力をかきたて、
歌詞がより一層引き立ち、
心に沁み入る構造になっているのです。


例えば
雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう、の
JR東海の
クリスマスエクスプレスの
遠距離恋愛中のカップルを描いた山下達郎のCM
だったり、
他にも
秦さんのカバーした
Rainや、スガシカオの
雨あがりの朝、といった
雨を思わせる音楽の前奏だったり。


前奏や、間奏の歌詞までの余白に
思いを馳せる、
想像力を掻き立てる時間は、
現代人には足りなくなってきているのではないかと思います。


現代人は
前奏で雨を感じることなんて
あるんでしょうか。


前奏がエモい音楽、きっと
沢山あると思うのになあ。































ではでは、今日もお越し頂きありがとうございました✨