2016年10月20日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第25回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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SNSで常時つながる人間関係 道具に踊らされない強さを

 

SNSの使用がますます盛んな昨今、私はフェイスブック、ツイッター、ラインを使っている。ミクシィはもうほとんど利用しなくなった。周囲の学生たちはあまりフェイスブックを使わず、主にツイッターとライン、そして写真が中心のインスタグラムを使っているようだ。

 

 ツイッターは匿名で使用する人が多く、不特定多数の人たちに向かって自分が言いたいことを発言する道具というイメージをつい最近まで持っていた。それは私自身も実名ではあるものの、当コラムで書いたことを不特定多数の人たちに広める宣伝用という意味合いで使うことが多いのも影響している。

 

 だが、日常生活の中で私が接している学生たちは、どうやら全く違うツイッターの使い方をしているようだ。ご存じの人もいるかもしれないが、ツイッターには“カギ”をかける機能がある。これは、自分がつぶやいた内容を見てほしい人だけに見てもらうためにカギをかけるというものである。だから仲良しグループのメンバーがおのおのツイッターのアカウントを持ち、カギをかけた閉じられた空間の中で日常生活について書いたものをお互いにたえず読んでいるらしい。数人の学生たちが集まると「◯◯ちゃんは昨日から就活で東京に行ってるらしいよ。ツイッターでつぶやいてたよね」「最近△△くんはあまりつぶやいてないけど、どうしたんだろう」「□□ちゃんは最近どうもいやなことがあったらしいね」といった会話が飛び交う。面と向かっている時だけでなく、遠く離れていてもたえず様子はわかる仕組みとなっているらしい。

 

 ところで、ある男子学生が、ここ2カ月ほどフェイスブックとツイッターに触れるのをやめ、SNSのうちで使うのはラインだけに絞ったという。「なんだかスッキリしました。あれは中毒みたいなものですよね」との感想をもらした。ただし、ツイッターで行方がつかめない彼のことを心配してか、「“生存確認”のための友達からのメールやラインが増えました」と苦笑いした。

 

 そう言えば、私もこの夏にほんの1週間ほどだったが、フェイスブックでもツイッターからも発信しない時期をなんとなく作ってみたことがあった。その時のなんとも言えない解放感は味わい深いものだった。しばらくたってネットの世界に復帰すると、そのまままた使い続けているのだが。

 

 便利な道具を手にするとなかなかそれを手放すことができなくなる。それは前述の男子学生が言った中毒という側面もあるだろう。だが、どんな時にも絶えず誰かとつながり続けていることの“うっとうしさ”を感じられる感覚は持ち続けておきたいし、誰ともつながっていない瞬間があってもさびしがらずにいられてひとりを楽しめる強さも残しておきたいと思っている。便利ではあっても、その道具に踊らされしばられる状況にはなりたくないからだ。

 

 (近畿大学総合社会学部准教授)