2016年4月4日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第293回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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新しい環境の「同調圧力」 友達は新学期だけ作るもの?

新年度に新学期。多くの人が新しい環境でのスタートを迎えたことだろう。勤務先の大学でも華やかな入学式を経て多くの新入生を迎えた。

 新しい出会いに胸をふくらませる人も多い一方で、友達ができるのかと不安を抱えている人もいるだろう。新たな環境を目の前にすれば、ごく自然な心境だろうと理解できる。

 ただ、最近学生たちが書くものを読んだり話を聞くと、その不安が過度に大きいのではないかと、それこそ不安になってしまう。

 筆者は日本語の作文を書く授業をずっと担当しているのだが、近年とみに「大学に入学する時、友達ができるかどうか心配でならなかった」と書く学生が本当に多いのだ。そして、「友達ができて、楽しい大学生活を送れるようになって本当にほっとしている」と書く学生がいる一方で、「結局誰も友達になれなかった。既に出来上がったグループに今更入れないし、これからもひとりだろう」と記す学生もいる。会員制交流サイト(SNS)上で「◯◯大学◯◯学部に入学する人たちのコミュニティ」が立ち上げられているのを入学前に目にして、「もう仲良くなっている人たちがいるのに、自分は間に合うのだろうか」と焦ったりもするらしい。

 上の学年に進級してからも、筆者がよく昼食を買いに行く学内の食堂の話をすると、「あそこは華やかな雰囲気の女子のグループがいるところだから行けない」と話す女子学生がいるかと思えば、「そういうグループに入るには、髪の色を染めないといけないだろうか」と考える人もいたり、逆に、少人数クラスでの授業でみんなが仲良くなろうとする雰囲気になじめず、ちょっと距離を置こうとして浮いてしまっている学生もいる。

 筆者自身の人生を振り返ってみても、友達から得る刺激は大きい。友達がいればこそ味わえる楽しみもある。だが、友達が一定数いること、定まったグループの中に自分の位置があることに、学生があまりに大きな価値を置くことにはちょっと違和感を覚えるのだ。自分が他の人と同じであろうとすること、同じでないといけないと感じる、いわゆる「同調圧力」という言葉がふさわしいだろうか。

 新しい環境になったから友達をつくらなければいけない。それは本当だろうか。本当に気の合う人は、新学期ではなくある日突然現れるかもしれない。そこそこの「友達もどき」と無駄な時間を過ごすぐらいなら、その出会いをひとりでゆっくり待ってもいいのではないだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)