「神谷美恵子のこと 喪失からの出発 」 を読んで
神谷美恵子を研究した本だが、
アメリカで過ごしていた時期のところで、
宮本百合子の「伸子」を読んだ神谷美恵子が、その内容があまりにも自分のことに似ているので不気味な気がしたとある。
「伸子」は私の場合にそっくりなので気味が悪いくらいだ。私はもうこの件については一字も書く必要がない。
これは神谷恵美子の文章だが、
私もこれに少し似たことを感じた経験がある。
私は結婚してしばらく絵を描いて居た時期があるのだが、
ある画家の解説文を読んでいた時、そこに書いてあった、その画家の考えや目指していることが、あまりにも私の感じていることに似ていたので、それ以来、私の中で絵を描くことがすっかり完結してしまった。
私の場合は、もとより趣味でやってたことなので、こんな風に言うと大げさで、要は飽きたんだろう…と言われそうだが、
あの共感はあまりにも強烈だったので、それを感じることで、あらゆるものに満足してしまい、その後しばらく生きる意味さえ曖昧になるほど幸福感を感じた。
神谷美恵子の場合とこの私の場合の感じ方は異なっているが、
生きる意欲さえ薄らぐほどの満足感を感じさせる深い共感というのは、ある意味怖いなと思った。
そのことがあってから、
人は共感するために生きているのかもしれないな…
と思うようになった。
「神谷美恵子のこと 喪失からの出発」
太田雄三 著 岩波書店
