認知症祖母の話を聞いていたら、カルチャーショックの連続
 
当時の私は福祉職についていました
福祉職は低賃金であると言われますが、友人たちと外食を楽しんだり、好きな美術館巡り、旅行も楽しんでおりました
 
ある日、祖母が急に若いころの話をはじめました
第二次世界大戦が終わりほどなくして結婚をした祖母です

岡山市も空襲で焼け野原となりました
結婚してから、ずっと山や田んぼで農作業にあけくれる日々だったそうです
 
当時は今のようにトラクターや家電製品もありません
毎日毎日働きづめだったそうです
お盆とお正月に実家に帰れるのが何よりも楽しみ
その楽しみも、お姑の許可がでたら帰れるそうです
自分の意思では帰れないそうです
食事は野菜中心。お米を作っていたのでお米はたくさ食べれたそうです
たまの魚がごちそうだったそうです
小学校の壁に映写機で「君の名は」の映画の上映会があったそうで、何よりの楽しみであったそうです
 
旅行は夢のまた夢
 
今の私の生活は決して当たり前ではないことを感じました
福祉職は低賃金だと言われても、祖母の若いころに比べたら天国だとおもいました
 
お休みの日に、収入以内で、という制限があるものの好きな時に好きなところに行けます
娯楽もあります

日々空襲におびえることもありません
 
今が当たり前であると感じておりましたが、決して当たり前ではないこと
先人たちの努力のおかげで日本は平和となり、高度経済成長を遂げ今の生活があることを思いました
 
先人たちのおかげです
これからも、先の人たちがより暮らしやすい社会になるよう取り組んでま
いります