夫はもう居ない。あの日、自ら

私たちの元からいなくなることを選んだ。


選ばせたのは私かもしれないという疑念は

永遠にある。それとともに

申し訳ない。ごめんなさいと。 


でも大人の男が人生を終える

という選択。発作的であったとしても

それだけが理由だろうか?

複雑な私の知らない問題や悩みも多かったかも。

過去のことで家族への裏切りがあったかも。

なんとなく序章は感じた。



夫は居ない。ということは

覚えていることは全て過去のこと。

夫との将来や家族全員での未来は無い。

それが私にはしんどくて辛いには違いない。


家族が増えた時の喜び、減った時の支え合い

あの時、こうだったね

これからこうしたいね

なんて、日々の何気ない、つまらないけど

柔らかな会話の楽しみも2度と味わえない。


今、どこのあたりで居るのかな。


亡くなってからずっと長い間

夫の部屋から何かしらの音が

絶えず聞こえてきて、

聞こえると嬉しくて。


丸2年過ぎると聞こえにくくなった。


亡くなった手段は神様、仏様からすれば

許されないのかも知れないが


どうか

新しい場所で健やかに居てほしいと心から思う。