長島愛生園を知っていますか? | nagikaのブログ

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皆様 岡山県の瀬戸内にある「長島愛生園」を

知っていますか?

「長島愛生園」は日本で最初に建てられた

「ハンセン氏病の国立療養所」です


「ハンセン氏病」は「ライ病」と言われた時期もありました


昔は「ハンセン氏病」になると 親族からも忌み嫌われ「死んだ者」として「墓まで建てられた」という歴史があります


近年では「ハンセン氏病は治る病気 感染もしにくい病気 感染しても発症はしない病気」との認識が

広まっていますよね


私は「長島愛生園」には2度訪ねた事があります

一度目は 高校生の時に 当時の生徒会の担当の先生(生物の先生でした)が 所謂社会運動や人権活動を行なっていた先生でした

高校2年の時に「生徒会」として 演劇部と合唱部と一緒に慰問しました


当時は まだ1日に数便のフェリーでしか行けない島でした

現在は橋が架かっています(昭和63年に橋がかかりました)

私が高校生の時は 療養所に入る時には「消毒」

そして島から出る時は「入念な消毒が必要」でした


その時 演劇部は「夕鶴」を演じて

当時はまだ 暖房もあまり整わない中

演劇部の着替室として使われた部屋は 火鉢で温めてくれていたと(2月に訪ねたので) 

「夕鶴」を観て涙を流して 


合唱部は「五木の子守唄」「ソーラン節」「翼を下さい」


私達 生徒会はビンゴゲームでプレゼント(皆同じ物でした)

そして 皆でお話しを聞いたり

お年寄りの肩をたたいたり

手遊びをしたり

平日でしたのと やはり まだ差別が残っていた時代だったので 若い方々は参加はしていませんでした


その後結婚してから 夫とイベントで訪ねましたが

現在は 本当に新しく 明るく 様変わりしています


私は高校生の時に 訪ねて お話しを聞いた時に

「私達は人間の命をもらって 産まれて

人間でいる事を捨てさせられて

そして 人間の命では 死ぬ事も許されない」という言葉


施設の中で恋愛して結婚しようとしたら

「断種」が条件であった事


ただ 病に罹患しただけなのに

「人間が人間として生きていく事が許されなかった」

そんな時代が そんなに昔では無い時代にあった

事を 心に留めて置いて下さいね