9月30日、浜離宮朝日ホールで角野未来さんのピアノ・リサイタルを聴いた。
今回はファーストアルバム発売を記念したリサイタル。プログラムにはメル・ボニス《伝説の女性たち》、ラヴェル《クープランの墓》《亡き王女のためのパヴァーヌ》など、フランス音楽が並んでいた。
前半で特に印象に残ったのが、メル・ボニス《伝説の女性たち》だった。
ボニスは1858年生まれのフランスの女性作曲家で、この曲集ではメリザンド、デズデモーナ、オフィーリア、サロメなど、文学や神話、聖書に登場する女性たちが描かれている。
私はボニスの音楽をほとんど知らなかった。
ところが聴き始めると、強弱の変化と音楽の流れがとても自然に感じられた。どこかで聴いたような感覚もあり、一瞬、高田三郎を思い出したほどだった。もちろん直接の影響関係があるわけではないようだが、私の耳には何か共通するものが感じられたのだろう。
そして今日は、途中から少し変わった聴き方をしてみた。
「伴奏を聴いてみよう」と思ったのである。
最近ピアノを習っていて、左手の重要性を先生から何度も指摘されている。それならプロのピアニストは左手をどう弾いているのだろう。角野さんの手元を見ながら、旋律よりも伴奏側に意識を向けてみた。
すると面白かった。
伴奏は、ただ右手の旋律の後ろで一定の音を鳴らしているわけではない。
強くなったり、弱くなったり、少し前へ出たり、また引いたりする。音と音が滑らかにつながり、一つの流れを作っている。それによって、その上にある旋律も自然に歌って聞こえてくる。
「左が歌えれば、右も自然に歌うのか」
そんなことを考えながら聴いていた。
後半はラヴェル。
《クープランの墓》や《亡き王女のためのパヴァーヌ》は知っている曲なので、今度は最初から意識して左手や内声を追ってみた。
驚いた。
こんなにいろいろなことをやっていたのか。
いつもなら当然のように旋律へ耳が向いてしまう。しかし左手や内声を意識すると、そこにも別の動きがあり、強弱があり、和声の移り変わりがある。旋律の後ろに隠れていた音楽が急に姿を現したようだった。
私はオーケストラなら、木管を聴いたり、金管の精度を聴いたり、低弦の響きを追ったりと、自分なりに聴く勘所がある。
ところがピアノ独奏となると、まだ何をどう聴けばよいのかよく分からない。
今日初めて、その入口を一つ見つけたような気がする。
「左を聴く」。
それだけで、知っているラヴェルが少し違って聞こえた。
もう一つ、今日印象に残ったことがある。
角野未来さんは、ただステージに出てきて曲を弾くだけではなかった。
パンフレットでは自ら作品について解説し、ステージでも自分の言葉で曲について話す。その話を聞いてから演奏を聴くと、私のようにボニスをほとんど知らない聴衆でも、その音楽へ入りやすくなる。
選曲があり、曲順があり、解説があり、話があり、そして演奏がある。
それらを全部合わせて、一晩のリサイタルを自分で作っているように感じた。
演奏技術の高さはもちろん大切だろう。しかし若い演奏家にとって、これからは「上手に弾く」ことだけでなく、「その日の演奏会をどう作り上げるか」ということも大切になっていくのかもしれない。
今日は、知らなかったボニスに出会った。
そして、知っているラヴェルを、知らなかった聴き方で聴いた。
一人の聴衆としては、それだけでも十分に面白いリサイタルだった。