久しぶりに東京フィルを聴いた。会場は文京シビックホール、指揮は川瀬賢太郎。
前半、まず印象に残ったのが天野薫のピアノだった。明るい音色で、一音一音の粒立ちがよい。それでいてオーケストラから浮くことがなく、川瀬との呼吸もぴったり合っている。ソロとオーケストラの受け渡しが自然で、ホール全体の響きもまろやかに感じられた。
そして竹澤恭子のブルッフ《ヴァイオリン協奏曲第1番》。
これは圧倒された。
音量が大きい。しかし、ただ大きいのではない。ヴァイオリンの音がこちらへ突き刺さるように食い込んでくる。それでいて情感が豊かで、旋律が大きく歌う。ホールへの響きの広がりも素晴らしかった。
その表情はヴィブラートだけによるものではないように聞こえた。要所で使われるポルタメントが旋律に独特の粘りを与えているのではないだろうか。音と音の間が単純につながるのではなく、そこに感情が入り込む。
まさに「旋律」が「戦慄」になるような瞬間があった。
そして今回、もう一つ驚いたのが東京フィルの弦だった。
久しぶりに聴いたが、以前より弦の響きが充実したように感じた。特にコントラバスである。2階席にもかかわらず、低音が単に響いてくるのではなく、コントラバスがオーケストラを下から支えていることがはっきり分かる。
以前、サントリーホールでチョン・ミョンフン指揮の東京フィルによるマーラー《交響曲第9番》を聴いた。また数年前には東京オペラシティでバッティストーニ指揮のマーラー《交響曲第7番》も聴いている。そのときと比べても、今回はコントラバスの存在がずいぶん明瞭に感じられた。
もちろん、曲も指揮者もホールも座席も違う。したがって「東京フィルの低弦が変わった」と簡単に結論づけることはできない。
しかし前半から一貫して、低弦の土台がしっかりしていると感じたことは確かだった。金管が大きく鳴ってもオーケストラ全体が埋もれない。これは今日の演奏の大きな特徴だったと思う。
後半はドヴォルザーク《交響曲第8番》。
川瀬賢太郎の指揮は非常に明快だった。各声部の動きが見え、木管と金管のバランスもよい。フィナーレではトランペット、トロンボーンがしっかり鳴り、技術的にも不安を感じる場面はなかった。それでも金管だけが突出せず、弦の響きがきちんと残っていた。
川瀬の指揮は私の好みに合う。
ソリストと共演するときには相手を立てながらオーケストラを痩せさせず、交響曲では各セクションの見通しを保ちながら全体を組み上げていく。今日のドヴォルザークでは、その特徴がよく分かった。
それにしても、今日のコントラバスの鳴り方は気になる。
東京フィルが変わったのか。川瀬の作り方なのか。それとも文京シビックホールと2階席の組み合わせなのか。
一度の演奏会では答えは出ない。
だからこそ、次に東京フィルを別のホールで聴く楽しみが一つ増えた。