先日、北海道新聞に「函館の五稜郭公園で藤の花が満開」との記事が掲載されました。

 

【北海道新聞 2024年5月23日】

 見頃を迎えた五稜郭公園のフジの花。薄紫色のかれんな花が来園者を楽しませている。

 

 桜の名所として知られる五稜郭公園は、正門入口に30メートルの藤棚があって、5月下旬の満開の時期には、降り注ぐような藤の花房のトンネルを通って城内に入ることになります。ラブ

 

【函館 五稜郭公園の藤】

*フリー素材

 

 私は、1984年4月から1989年5月一杯まで5年2か月、函館市に住んでいました。住んでいたアパートは、五稜郭公園から徒歩10分もかからない場所にあったので、五稜郭公園は通りかからない日の方が少なかったくらいです。

 

 藤の花も、満開の時期を5回見ましたが、亀戸天神の藤棚に勝るとも劣らない見事なものです。

 

 この記事を読んで、藤の花が見たくなったので、大通公園2丁目にある藤の花を見てきました。

 

【札幌 大通公園の藤】(2丁目)

 

 花房が五稜郭公園の藤の花ほどには伸びていないので、私にとっては期待外れでした。

 

 正岡子規(1867ー1902)が病床で詠んだ藤の花は、このように短い花房だったかも知れないと思いました。

 

【子規日記 1901年(明治34年)4月28日】

 夕餉したため了りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。艶えんにもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。この道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり

 

 子規は、34歳で亡くなるまでの約7年間、結核で病床にふしていました。「瓶(かめ)にさす」の歌が歌われたのは亡くなる前年で、既に寝返りも打てない状態だったそうです。

 

 この歌が詠まれた子規の住処は、「子規庵」として保存・公開されています。首都圏に住んでいれば、足を運んでみたいところです。
 

【正岡子規が晩年に過ごした住処「子規庵」】(台東区根岸2-5-11

*鶯谷駅が最寄りです。