元禄14年3月14日(1701年4月21日)の朝、江戸城松の廊下で赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介に切り付けました。浅野匠頭の身柄は奥州一之関藩(岩手県)の田村右京太夫に預けられ、上屋敷の庭先で即日切腹となりました。

 

 一之関藩の上屋敷があった場所には、歩道脇に石碑が建っています。

 

浅野内匠頭終焉の地  港区観光協会】 (港区新橋4丁目

 

 辞世の句は、「風さそふ 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせむ」です。

 

 太陰暦の弥生14日は、今日の暦では4月21日なので、元禄時代の江戸では桜もほとんど散っていたかも知れません。

 

 ゴールデンウイークの東京では、春の名残どころか夏日が続いていますが、札幌ではまだ桜の花が咲いています。

 

【シダレザクラ】(北大教育学部前)

【エゾヤマザクラ】(北大医学部前)

【ソメイヨシノ】(北大工学部前)

【里桜】(北大工学部前)

 

 「春の名残を いかにとやせむ」の句については、いろいろと解釈されていますが、「いかにとやせむ(どうしたものだろう)」と迷う気持ちを自問する心情に、哀れを感じます。

 

 桜の花が散ると共に春が過ぎ去っていくのは名残惜しいですが、せっかくまだ桜を観賞することができるので、今年の桜を心ゆくまで見ておこうと思います。