長崎で原爆に被爆し、「長崎の鐘」、「この子を残して」など多数の著書で原爆の悲劇や復興への希望を世に問うた永井隆氏(1908-1951年)は、長崎市を文化の魅力溢れる都市として復興させることを提言しました。

 

 人々をひき付ける文化の魅力について、エッセイ集「長崎の花」の中で、次のように述べています。

 

【長崎の花】

 長崎から江戸へ上るのは楽しかったでしょうか?・・・・・・

 長崎から東京へ上るのは大そう楽しみです。東京から長崎へ下るのは、どうやら、ちょっと足が重いようですね。

 江戸から長崎へ来るのは、とても楽しみだったらしいのですが-。

 文化の魅力-ということを考えさせられます。観光だなどといっていますが、文化の進んでいる土地にこそ旅人は集まって参りましょう。旅人から遊覧のお金を取り上げる気では、遠くから客は来ますまい。旅人に無形の文化財を与える町であってこそ、はるばると諸国の人が集まるのです。

 

 私は、福岡に住んでいた頃、観光振興の仕事をしていたので、九州各地の観光資源を見て回りましたが、「文化」の面で長崎は圧倒的な存在でした。

 

 歴史文化なら、九州各地も長崎に勝るとも劣りませんが、長崎を圧倒的な存在にしているのが「異国情緒」です。その異国情緒を、戦前活躍した詩人たちが巧みに表現しています。

 

【長崎ぶり 木下杢太郎】

 袖にのこりし南蛮の花手拭よ、. 染めた模様の唐草は. 誰がうつり香ぞ、にほひあらせいとう。蘆薈会、蛮紅花、天南星、南無波羅葦増雲善主麿。

 

【邪宗門秘曲 北原白秋】

 われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。

 黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、

 色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、

 南蛮の桟留縞を、はた、阿剌吉(あらき)、珍酡(ちんた)の酒を 

 

 長崎市内だけでも、グラバー園、大浦天主堂、浦上天主堂、出島和蘭商館跡、長崎孔子廟、長崎新地中華街、思案橋、眼鏡橋など、一日では見て回れません。

 日本国内は、全国的なチェーン店が津々浦々に進出して、どこに行っても金太郎飴のように特徴の無いものになっています。そうした中で、長崎市の異国情緒が感じられる街並みは、この先も変わらず残ってほしいものだと思います。