1月20日(土)は、二十四節気の「大寒(だいかん)で、一年で最も寒い日とされています。

 

【二十四節 「大寒(だいかん)」とは】

● 二十四節 旧暦で季節を表すために用いる言葉
● 2024年(令和6年)の二十四節気
1月6日(土)    小寒(しょうかん) 寒の入りで、寒気がましてくる
1月20日(土)    大寒(だいかん) 冷気が極まって、最も寒さがつのる
2月4日(日)    立春(りっしゅん) 寒さも峠を越え、春の気配が感じられる

 

 私は、愛車のバッテリーを充電するため、ザ・ビック東雁来店までドライブしましたが、例年に比べて積雪は少ない感じです。

 さっぽろ雪まつりが近づいているので、祭りの期間(2月4日(日)〜2月11日(日・祝))が終わるまでは、寒くても仕方がないという感じです。 

 

 同じ北海道でも、私が昔住んでいた函館市近辺は雪が少なく、昨日(19日)の早朝の写真を見ると、次のとおり積雪ゼロの状態です。びっくり

 

【函館市内 1月19日(金)】

 

 

 「新雪」の美しさを讃えた「新雪」という曲があります。

 

【新雪(しんせつ)】

1 紫けむる 新雪の
  峰ふり仰ぐ このこころ

  麓の丘の 小草を敷けば
  草の青さが 身に沁みる


2 けがれを知らぬ 新雪の
  素肌へ匂う 朝の陽よ

  若い人生に 幸あれかしと
  祈るまぶたに 湧く涙


3 大地を踏んで がっちりと
  未来に続く 尾根づたい
  
新雪光る あの峰越えて
  行こうよ元気で 若人よ

 この曲は、1942年(昭和17年)10月1日にビクターから発売されました。同日に公開された大映映画『新雪』(五所平之助監督)の主題歌です。前年12月8日の真珠湾奇襲以来、日本は太平洋戦争中でしたが、当時はまだ余裕があったようです。

 

 「新雪」がヒットした1942年の4月18日には米軍機による本土初空襲があり、5月7日の珊瑚海海戦、6月5日のミッドウェー海戦で日本軍は大打撃を受け、さらにキスカ島、アッツ島、ガダルカナル島と敗北を続けていました。しかし、国民の大部分は大本営発表を信じていたのです。

 

 1945年8月15日にポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏するまで、3年9か月余りの戦争で日本は疲弊のどん底に陥ったわけですが、終戦後直ちに日本全土に進駐してきたのが米国軍であったことは、不幸中の幸いでした。ソ連軍が一部でも占領に加わっていたら、いまでもそこはロシアに占領されているはずです。

 

 サンフランシスコ講和条約が発効した1952年(昭和27年)4月28日まで、連合国軍最高司令官総司令部の占領下に置かれたわけですが、その後も占領が続いた奄美群島も1953年(昭和28年)、沖縄は1972年(昭和47年)に返還されました。

 

 ロシアが今ウクライナで行ってる残虐な侵略や、終戦前から日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州や樺太に攻め込み、略奪や拉致(シベリア抑留)を行ったことを考えると、敗戦国に対して残虐な復讐や略奪もせず短期間に独立を回復させてくれた米国が敗戦相手だったことは、奇跡としか言いようがありません。