私は、1984年(昭和59年)4月から1989年(平成元年)6月まで函館市に住んでいました。その間、1988年3月に青函トンネルが開業して、青函連絡船が廃止になり、元町エリアの倉庫群が観光施設に生まれ変わるなど、大きな変化を目にしました。
函館市は、北洋漁業の基地であり、造船所の函館ドックもあって、基幹産業が海に依拠する正に「海の街」でした。その様子は、「はこだて賛歌」に歌われています。
【はこだて賛歌(函館市)】←クリックでYouTubeにリンク
誰かに住む街 聞かれたら
はい 函館と答えます
明るく胸はり 答えます
親子みんなが住みついて
いのちかけたい海の街
そんな街です そんな街です
はこだて
1988年までは、函館に大型の母船が集結して、ソ連(当時)やアメリカ合衆国の200海里内でサケ・マス漁が行われており、函館港に帰還した漁船員が、函館駅前の繁華街で豪遊していました。![]()
私が住んでいたころは、まだイカが良く獲れていて、酒の肴は、安いという理由で「函館こがね」という割きイカに調味料で味付けした珍味を食べていました。
その昔は、朝獲れたイカをリヤカーに積んで行商にくるので、それを刺身にして、好きなだけ食べたものだという話しを聞きました。![]()
現在は、観光都市として生き残りをかけていますが、サケ・マス、イカ、ウニ、コンブなどの海産物が豊富に獲れれば、かつてのような「海の街 函館」の実感が蘇るのではないかと思います。
そうした「海の街 函館」の復活に向けて、来年秋のオープンを目途に、北大函館キャンパス内で「水産科学未来人材育成館」の新築工事が始まりました。
【水産科学未来人材育成館】
1階 交流情報発信スペース
2階 図書館
3階 博物館・アーカイブ
4階 展望ルーフ
この施設は、什器・備品の予算が不足していて、寄附を募っているので、本日30万円を寄附させていただきました。
返礼品としては、練習船のマストに掲揚する船旗の実物がもらえるとのことです。![]()
【船旗(北水旗)】


