ろく【怖くない心霊スポット突撃記】城山公園(磯部城趾) | Mrネクストのじっくり読むブログ

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ヤフーから、引っ越してきました。多くの皆様に、じっくり読んでいただけると嬉しいし、喜んでもらえる記事を書きたいと思っています。
卓球の記事については、嘆きと反省になります。

 

 
城山公園は、元は磯部城の跡地でした。
ここで、落武者の幽霊が目撃されていますので、心霊スポットとされています。
元々は磯部城だった城山公園は、整備の後命名したと思われますが、それが、「しろやま」なのか「じょうやま」なのか、どう読むのかわかりませんが、地元では、こんな場合は、後者が普通です。
 
 
信越線の磯部駅からすぐ近くで、駅からこの手前までの間は、日本有数の優良企業の工場になっています。整備は、この企業の資金でやっていただいたものと思われます。工場内に福利厚生で大きな体育館があり、そこで何度か卓球の練習をさせていただいています。心霊スポットになっている公園は、そのすぐ近くでしたが、練習の時は気付きもしませんでした。
 
 
磯部城の詳細の資料は、残っていませんが、近くの「松井田城」「後閑城」「安中城」と同じ運命を辿っているはずです。武田信玄に襲われ、信玄の没後には北条氏に従いました。さらに、豊臣秀吉の命で真田幸村や前田利家により攻められ、落城させられました。戦のたびに大敗を喫し、最後の秀吉には、容赦なく攻撃され、跡形もなく叩きのめされました。
これは、関ヶ原合戦の11年前です。
 
 
磯部城も同じはずです。
「松井田城」も心霊スポットですが、怖いようですから、その近くのトンネルも併せて、行くのはパスします。私は、怖くない心霊スポット専門なので。
磯部城の頂上は、平地から40Mの高さがあり、本丸の近くは、ほとんどが荒れ地で、そこに小さな神社がありました。霊を鎮めるためでしょうか?
1円玉を置いてから、手を合わせました。
 
 
山城だったため、通路はアップダウンが激しく、特に下りが厳しいです。訪れる人は全く居ないし、熊笹が通路まで迫っていて、別の意味で怖いですね。
 
 
豊臣秀吉は、ここの攻城作戦から9年後、関ヶ原の2年前に没しています。信長が手掛け、そのあと秀吉が日本を統一して、戦国時代を終わりにしますが、関ヶ原のあとも、大坂夏の陣冬の陣まで大きな戦は続きました。
ある人に聞いた話ですが、この頃は、2,000人の軍勢が出陣して合戦になれば、まぁ合戦にもよりますが、大体8%の160人程度の戦死者が出る確率でした。にらみ合いだけの、なんちゃって合戦みたいな合戦も、いくつもあったようです。でも、籠城戦で最後まで戦えば、100%が戦死になります。ここは、惨い戦いでしたから、こうなったでしょう。
日本人って、意地悪で残忍な性格なんですよ。
そりゃぁ、化けて出ますよね!!
 
*「心霊スポット群馬」でネット検索し、一部参考にしています。