【愛犬の旅立ち】ウィッシュから貰ったもの教わったこと | Mrネクストのじっくり読むブログ

Mrネクストのじっくり読むブログ

食べ歩きと旅と卓球のことを、写真を交えて、じっくり書きます。
ヤフーから、引っ越してきました。多くの皆様に、じっくり読んでいただけると嬉しいし、喜んでもらえる記事を書きたいと思っています。
卓球の記事については、嘆きと反省になります。

 
 
我が家の愛犬ウィッシュは、雑種で捨て犬でした。
世の中には、やさしい方も居るもので、三匹の子犬を、小さな川の堤防で拾って来たそうです。そうして、ベランダでミルクを与え、飼い主を探す手配をしてくれました。
それを見て、「見せてください」と先方を訪ねたところ、すぐに息子の胸に、かわいい薄茶色のメス犬を抱かせてくれたのが、初めての出会いでした。
それは、さわやかな春の休日でした。
その頃の我が家は、不幸があり、いろんなことが、あまり上手くいっていませんでした。
 
 
先方は、笑顔ですっかり仔犬を手放せなくなった息子を見て、手土産の「磯部せんべい」を受け取って、「どうぞ」って言ってくれました。その帰り道、ホームセンターのペットコーナーに駆け寄り、犬小屋から餌などを始めとする、考えられるあらゆる物を購入して、家に帰りました。
その頃には、息子も女房も、すっかりこの仔犬のとりこになっていました。
 
 
知らないって事は、罪な事です。
翌年の春、まだ一歳のウィッシュに妊娠が発覚し、4月29日の朝、四匹の仔犬を出産しました。やっと囲いが完成した翌日の事でした。
不思議で神秘的な経験でしたが、生きる物の生きる様子が、目の前で展開して行きます。
 
 
ウィッシュは、若いみそらで、仔犬たちの世話をしています。本能からなのか、育児を知っているようで、母乳を与え、仔犬たちの身体をなめています。私たちのことなど、全くあてにしていないようでした。でも、我が家では四匹みんな、飼うことなど出来ません。そこで、仔犬たちを、動物愛護協会に連れて行き、柵の中で、新しい飼い主を待つことにしました。
 
 
二匹目の引取り者が現れた時、私たちはちょうどその場にいました。
協会の方が、「この子たちは、母犬の世話を受けて育っている仔犬ですから」「4月29日に産まれたばかりですよ」
その時のご夫婦の奥さまは、「4月29日」とつぶやき、急に涙ぐみました。同じ日に、愛犬が亡くなっていたのでした。
こうしてすぐに、新しい飼い主が決まりました。
四匹全部に、新しい飼い主が見つかるまで、一ヶ月かかりました。土日の朝、餌を持って連れて行き、昼食後少し時間を潰してから、連れ帰ります。平日は、ウィッシュが、残った仔犬を甲斐甲斐しく世話をしています。
一匹づつ居なくなり、やがてみんな居なくなり親犬だけが残りました。そんなウィッシュの姿を見て、申し訳ないと思いつつ、いとおしさも感じました。それから、私もウィッシュと散歩に行く回数が増えました。
 
少し落ち着いてから、避妊の手術を施しました。
 
 
息子は、ウィッシュとじゃれ合いながら、一緒にたくましく成長してくれました。
ウィッシュも、近づく息子の自転車の音や女房の車の音が分かり、到着する少し前から、嬉しそうに吠え出します。
また、近所の人や郵便配達の方とか新聞配達の人には、おとなしくています。見慣れない方には、激しく反応し、「門番」と、「警備」の役割を、十分に果たしてくれました。郵便配達のひとりの若者は、来るたびにウィッシの頭を撫でてくれました。
 
小型犬で、見かけがこんなで、人とすれ違ってもおとなしく、評判の良い犬でした。
女房が、検診や予防接種に欠かさず連れて行ったため、ずっと健康でいてくれ、心配などさせられたことはありませんでした。
 
また、ウィッシュが居たから出来た事で、私と一緒に、遠くまで2時間くらい散歩したことも度々あります。一緒に走ったことも再々ありました。私一人と一匹との散歩中に声をかけると、顔付きや姿で、「そうだね」とか、私の心の中に返事をしてくれました。
犬らしい犬で、とても従順でした。
 
 
さて、ウィッシュは、1年程前から、後ろ脚が時々震えるようになりました。認知症と思える症状が出て来ました。
一週間前から、瘦せ衰えたのが急に目立ち、痙攣している時間が増えています。小屋の中を自分で汚し、イライラしてか、あるいは私や女房を呼ぶためか、昼夜を問わず「わんわん」とうるさく吠えます。
当日の3日前の朝に、少しだけ餌を食べてから、もう何も口にしなくなりました。近くでカラスが「カーカー」鳴いていて、少し気になりました。
前夜は、ひっきりなしに「ウーウー」と唸ります。その都度小屋に行くと、中で立ったままずっと震えていて、吠える事さえ出来なくなっていました。明け方に、女房の世話で、頭だけを小屋の中に入れて休み、落ち着いたようです。
そのうち、自分で小屋の脇に横たわり、息をするだけになりました。
「わんわん」や「ウーウー」は、苦しかったのか、あるいは痛かったのか?
私には、分かりませんでした。ウィッシュは、私のことを分かってくれていたのに。
 
 
私は、その日、畑の片隅の桃の木の下に、穴を掘りました。「墓穴を掘る」といいますが、こういう意味なのでしょうか?
それは、少し深めに掘りました。
夜になったら、ウィッシュは、もう息さえしていません。
老衰でした。
この場所は、ちょうど、産んだ子に、乳を与えていた場所でした。
 
 
翌日は、小雨の降る寒い朝でした。
やっと起き出すと、女房は傷心なのか、まだ起きて来ません。
そして、ウィッシュに触ると、もう硬直していました。相談し、小雨の降る中、棺桶代わりのダンボールに、散歩綱や小物と一緒に入れました。首輪は、我が家の飼い犬の証ですから、そのまま付けて、畑に向かいました。ウィッシュは、最後、私の胸の中で、とても軽く感じました。
着いてから、穴の幅を少し広くしました。作業中は、弱く降る雨で、顔が濡れて来ました。
暗い土の中に、そっと埋葬しました。
 
 
晴れ間が出た午後に、女房と、線香に花を添えて、ウィッシュに向け手を合わせ、旅立ちの手助けをしました。
女房は、手を合わせながら「ウィッシュありがとう」「パパもありがとう」って・・・・
晴れて来たのに、二人ともほほが濡れていました。
 
 
ウィッシュは、生まれてすぐに捨てられて、ミルクも飲めず、そこで終わるかもしれない運命の犬でした。しかし、幸運にも生命をつなぎ、我が家の飼い犬となりました。そして、私たちと一緒に14年8か月の寿命を全うする事が出来ました。
私たちと寄り添い、人の人生を縮尺するように生きました。出会い、出産、別れ、成長や衰え、自然の摂理を生きる中で、私たちに身をもって「人生の喜怒哀楽」を教えてくれました。
今、品川に居る息子に連絡すると、残念そうに「元気を貰った。感謝している」という返事でした。
ウィッシュは、永遠のまごころで、息子を立派な社会人に成長させてくれました。
ウィッシュには、やはり「ありがとう」という感謝の言葉しかありません。