淀君伝説の伝わる寺 元景寺 | Mrネクストのじっくり読むブログ

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食べ歩きと旅と卓球のことを、写真を交えて、じっくり書きます。
ヤフーから、引っ越してきました。多くの皆様に、じっくり読んでいただけると嬉しいし、喜んでもらえる記事を書きたいと思っています。
卓球の記事については、嘆きと反省になります。

淀君伝説の続きです。


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大坂夏の陣で敗れた豊臣方は、大阪城を枕に討ち死にしたとされています。
豊臣秀吉の息子秀頼と、側室淀殿もここで最後を迎えたとされていましたが、この元景寺に伝わる話では、淀殿は生き延びて、前橋の総社で永眠したことになっています。

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巨城には、火薬も大量にあって、それと共に吹き飛べば、死体など残るわけないのです。

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大阪城には、地下道も沢山見つかっていますから、うまく抜け出していても不思議はないですね。

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この元景寺ですが、さい銭箱がありませんでした。
幼稚園は、あるのですが、さい銭をしないで、写真だけ撮って来てしまいました。
ちょっと胸が痛いんです。

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秋元家の墓の隣にある、妾の墓の戒名が、院殿が付いているというのが根拠ですが、私の亡くなった父も院殿が付いてますけど~

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このお寺に400年の間、伝わって来ている淀殿の伝説です。
私は、信じようと思っています。
とっても良い話じゃないでしょうか。
れっきとした、ここに現存するお寺に伝わる話です。
淀殿は、ここに居たのです。

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さて、この時の大阪城にもう一人、悲劇の人が居ました。
真田幸村ではありませんよ。

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そう、千姫です。
徳川家康の孫で、2代将軍秀忠の娘です。

この人も贅沢ですが、不幸な人生を歩みます。
この話は、続きます。