深田久弥 最初の山と最後の山 | ケイの山とスキーの日記  

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 11月23日と24日の土・日、先週に登ろうと思っていた白山も

 

 別当出合までの道が冬季閉鎖されましたし

 

 もう私のレベルでは登れなくなりました。

 

 どうしようかなと思っていたらお二人のお気に入り山ブロガーさんが

 

 偶然にも茅ヶ岳登山の記事を投稿されていました。

 

 茅ヶ岳は日本百名山の著者深田久弥の終焉の地として有名です。

 

 以前から気になっていた山でしたので登ろうかなという気持ちになりました。

 

 でも金沢からは結構遠いです。

 

 土曜日を単に移動日で潰すのももったいないので

 

 道中でどこか手頃な山に登ってから茅ヶ岳を目指すことに。

 

 そこで思いついたのが富士写ヶ岳(石川県 942m)です。

 

 深田久弥が小学校6年生のときに初めて登った山です。

 

 深田久弥はこのとき先輩から健脚ぶりを褒められて

 

 登山に興味を持ったと言われています。

 

 ある意味、百名山の原点の山と言ってもいいかもしれません。

 

 そういうことで茅ヶ岳に登りに行くならその前に登る山としては

 

 富士写ヶ岳が相応しいのではないかなと思いました。

 

 

 

 

 富士写ヶ岳は過去3回異なる登山口から登っていますが

 

 この日は我谷ダムからピストンする代表的なコースを。

 

 6:42 赤い吊橋近くの路肩に一番乗り。

 

 

 

 

 吊橋と言ってもかなりしっかりしていますのでほとんど揺れません。

 

 

 

 

 渡っている途中、

 

 今から目指す富士写ヶ岳の山頂が霧の中から姿を現しました。

 

 

 

 

 

 紅葉は終わりかけでしたが下の方はまだきれいなところも残っていました。

 

 山頂の姿もなかなかいい佇まい。

 

 

 

 

 画像ではあまり伝わりませんが結構急登です。

 

 尾根道を登っていくのですがつづら折りではなくてほとんど直線。

 

 スキーで言うと斜度30~40°の中・上級者斜面が続きます。

 

 

 

 

 たまに勾配の緩やかなところも。

 

 8:12 朝日が当たって爽やかな気持ちになりました。

 

 

 

 

 日本海が見えるところに出ました。

 

 石川県加賀市方面です。 深田久弥が生まれた町です。

 

 

 

 

 5月にはシャクナゲが咲き乱れる道です。

 

 

 

 

 

 9:06 山頂に到着。

 

 手前に一等三角点。 明治28年5月20日

 

 旧陸軍参謀本部陸地測量部測量手古田盛作が埋標。

 

 

 古田盛作の名前は知らなくても、映画 「剱岳 点の記」 で柴崎芳太郎が

 助言を乞いに行った先輩といえば思い当たる方も多いのでは。

 

 そうです、弓道の練習をしていた役所広司です。

 

 

 

 2~3年前に新設された山頂方位盤。

 

 銅板にエッチングされた深田久弥が微笑んでいます。

 

 奥には白山も見えます。

 

 

 

 しばらく休憩して九谷ダムのほうに少し寄り道。

 

 こちらのほうが白山の展望はいいです。

 

 

 

 

 前山には久弥の詩碑が… って、壊れてるじゃありませんか (T_T)

 

 

 

 以前はこんなだったのに。 落雷でもあったのでしょうか。

 

 

 

 

 この日のうちに山梨県まで移動しなければならないので下山します。

 

 

 

 出会った人は20人ほど。 シャクナゲの季節ならもっと賑わいます。

 

 11:04 吊橋まで降りてきました。

 

 

 

 

 車のところに戻ったら前がふさがれていて動かせなくなってました。ガーン

 

 

 

 着替えていると上品な老夫婦が戻ってきて 「ごめんねー」 と。

 

 ダム湖の紅葉を観に来たんですね。 ちょっとアセりましたヨ。(^^ゞ

 

 

 

 このあと近くの温泉に。 あー、いい気持ちです。

 

 

 

 

 

 この日は寄りませんでしたが近くに 「深田久弥 山の文化館」 があります。

 

 過去3回訪ねています。 もと絹織物工場でとても雰囲気のある建物です。

 

 田部井淳子さんも2011年にここで講演されています。

 

 その翌日に富士写ヶ岳へ登られたそうです。

 

 

 

 

 

 展示されている深田久弥の年譜。

 

 横軸「1914年11歳」、縦軸「登山歴」の交わるところに「富士写ヶ岳」が。

 

 

 

 

 日本百名山の記念すべき第一回掲載は鳥海山と男体山。

 

 

 

 

 穂高岳の肉筆原稿。 字はお世辞にも綺麗とは言えませんね。^^

 

 

 

 

 これは北部白山麓のブナオ山観察舎にあった久弥の色紙。

 

 しかしまぁ味のある字体です。^^

 

 

 

 

 

 

 さて、富士写ヶ岳から茅ヶ岳に向かうにあたってどの道を行くか。

 

 R158 白鳥~高山~松本ルートを選択。

 

 北の北陸道~上信越道経由や南の名神~中央道経由より

 

 日本列島ど真ん中横断のほうが近いです。

 

 

 

 途中、福井県勝山市内から見る日本百名山の荒島岳。

 

 

 深田久弥は百名山を選ぶにあたり荒島岳と能郷白山で迷ったとのことですが

 

 個人的には経ヶ岳(福井の)も候補に入れてほしかったかな。

 

 登って面白いのは断然経ヶ岳です。 登った人はみんなそう言います。

 

 

 ちょっと登山口の駐車場を覗いてみたら15台ほど停まっていました。

 

 

 

 

 上高地への釜トンネルを横目に一路東進。

 

 松本から南下。

 

 18:03 諏訪湖SA

 

 

 早朝の富士山の見える諏訪湖畔の公園もお気に入りスポットですが

 

 翌朝のことを考えるともう少し茅ヶ岳に近づいておかないと。

 

 計画通り八ヶ岳PAまで走って車中泊しました。

 

 

 

 

 翌朝、韮崎ICで降りて深田記念公園の駐車場に7時過ぎに到着。

 

 7:30行動開始。 女岩コースを登ります。

 

 最初はわずかに小雨でしたがすぐに止みました。

 

 

 

 

 途中までこのような谷筋を登っていきます。

 

 

 

 

 私の10分後くらいに駐車場に着いた3人組が追い越していきました。

 

 

 

 

 8:33 女岩の手前50m地点で右折。 尾根に取り付きます。

 

 

 

 

 足立ナンバーのこの男性は今年1月から登山を初めて

 

 この日で30座目とのこと。 結構いいペースですね。

 

 

 

 

 9:22 尾根に出ます。 ここを左折。

 

 

 

 

 もうすぐ深田久弥が亡くなった場所に着くはず…

 

 

 

 

 9:31 その場所に着きました。

 

 

 

 

 石碑には 「深田久弥先生終焉之地」 と書かれています。

 

 1971年3月21日 ここで脳卒中で帰らぬ人となりました。 享年68歳。

 

 

 

 

 山の文化館の年譜に貼られていた亡くなる直前の写真。

 

 

 

 

 

 しばらくして山頂に向かいます。 振り返ってもう一度。

 

 

 

 

 9:58 茅ヶ岳山頂。

 

 

 

 

 南アルプス方面。

 

 

 

 

 八ヶ岳方面は雲でさっぱりでした。

 

 

 

 

 30分ほど粘っていると富士山が顔を出してくれました。

 

 

 あとから登ってこられた方も10人程度。

 

 そこそこ人気の山ですね。 有名ですもんね。

 

 

 

 10:34 下山開始。 往路の西側の尾根を降ります。

 

 

 

 

 わりと幅の広い尾根をつづら折りに降りていきます。

 

 

 

 

 11:58 駐車場奥の登山ポストに到着。

 

 せっかくなので深田記念公園に寄りました。

 

 

 「百の頂に百の喜びあり」 の石碑。

 

 あいかわらず字は綺麗ではなかったけどなんかしんみりしてしまいました。

 

 

 説明の看板によるとここで毎年4月第3日曜日に 「深田祭」 として

 

 碑前祭と記念登山が行われているとのこと。

 

 

 

 

 

 帰りに近くの白山温泉に浸からせていただきました。

 

 露天風呂から茅ヶ岳が見えました。 正面の三角形の山です。

 

 

 

 このあと松本⇒安房トンネル⇒高山⇒東海北陸道で一気に金沢へ。

 

 19:30無事帰宅。

 

 深田久弥の最初の山と最後の山、登ってみて少し感慨深いものがありました。

 

 いろいろ好き勝手なことをした人生だったみたいですが幸せに旅立っていったのかな。

 

 なんか私も百名山達成したような気分に。 そういうことにさせてもらいます。(笑)

 

 2日間の旅、お付き合いいただきましてどうもありがとうございました。

 

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