■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】 建設業でも経営理念が事業拡大・承継のカギ 3412-4a08  

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■ 建設業でも  経営理念が事業拡大・承継のカギ  3412-4a08
 2004年に徳島県内の注文住宅着工戸数で第1位になって以来、連続で着工数ナンバー1を維持している注文住宅会社がある。H社(徳島県北島町)がそれで、2019年6月期が36億9000万円だった売上高は、22年には50億を超えるまで成長を続けています。県内の新築住宅着工戸数が右肩下がりで減少するなか、コロナ禍以降も着実に業容を拡大している。

 創業者で代表取締役会長CEOのHさんは、もともと住宅業界とは無縁だった。祖父は米・穀物問屋と漬物問屋、父はスーパーマーケットを経営し、Hさん自身も大学卒業後は、父のスーパーに入社して店長も経験した。しかし近隣の人口減少や大手スーパーの進出が相次ぎ、スーパーの閉店を決意。1989年に水処理業の会社を起業し、その後6年間はスーパーと重複して経営した。

 水処理業で起業した理由は、「ステークホルダーに迷惑をかけないよう、しばらくはスーパーと新会社のダブルで経営する必要があったため」とHさん。一人でも兼務で仕事ができること、負担が少ないこと、資本が少なくて済むことーという3つの理由から水処理業を選択した。起業時にはそのほか、大手スポーツメーカーのゴルフ部門の四国代理店や、ソフトウエアメーカーのフロッピーディスク制作、大手電機メーカーの孫請けのカドニカ電池製造業なども検討したという。

 97年にH社に社名を変更して、住宅事業に進出。もともと水処理業で起業した当初から第二創業の必要性を考えていた。幼い時から土地・建物に興味があり、宅地建物取引士の資格を取得していたこと、また将来的に市場そのものは縮小する半面、やり方によっては可能性があると感じていたことが、住宅業界に進出した理由だという。わずか20数年前に進出したにもかかわらず、業容を拡大できたのは、「『正直に王道を行く』という経営理念をはじめ、社訓・社風の維持発展を大切にしてきたことが大きい」と話す。

 Hさんらしいのは、事業承継の在り方にも出ている。現社長のA氏は親戚などの特別な関係はなく、27歳の時に入社した元従業員だ。現在50歳で、2年半前に社長に就任した。「社長をお願いしたのは、経営理念・社訓・社風を一番体現してくれていたから。10年ほど前から想定しており、社長就任を前提に大学院でMBA(経営学修士)を取得してもらった」と語る。

 その次の経営者も7年ほど前から決まっているという。息子は大学院を修了後、日本IBMで3年間勤め、4年半前に入社した。今後、取締役として各業務の経験を積んだ後、2年半後に社長に就任する予定だ。「A社長は取締役として、H社の将来を支えていく中心メンバーとなる。また本人の希望にもよるが、関連会社の社長も兼務してもらう」と話す。さまざまな選択肢から最適解を選んできたHさんは、A氏や後継者候補の息子に続き、今後、第3・第4の経営ができる人材の育成も目指している。

【 コメント 】
 H氏は、家業や父親の会社を継ぎ、社長になるまでの準備を怠っていません。常に一歩先をみながら、スーパーマーケットをフェードアウトしながら、新規事業に参入するという方法を採り、一般的に行う、廃業してから、新規起業するという方法を採りませんでした。
 後継者も、血族に固執せず、信頼できる自分の部下を信じ、大学院に行かせて育成するという方法で事業承継を続けています。そのまた後継者も指名し、事前に心の準備をさせ、経営者としての知識・経験を重ねさせるという、次のステップへの準備を怠っていません。
 「企業は生き物」といわれますが、時代の変化によってはスクラップ・ビルドを敢行せざるを得ません。その読みと準備を平素から行ってこそ、企業を「ゴーキングコンサーン」として永続させることができるのです。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

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