【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 7 入札ビジネスにいかに対応するか  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
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◆5-7 入札ビジネスにいかに対応するか
 ケント光学の北野原社長とロングアイランドのフィルモア光学を訪れた竹根は、なんとか北野原社長にお土産となる「注文」をとりたいものだと考えていた。
 翌日は、マンハッタンの南の方、ソーホー地区にあるソーホー科学機器を訪問した。ここは、入札専門のビジネスをやっている。顕微鏡だけではなく、いろいろな理化学機器や測定器の入札があると応札する。ケントの顕微鏡も対象になりそうであるが、日本からの出荷では、納期的な問題がありそうで、アメリカ国内に在庫を持たないとソーホー科学機器とは取引ができそうもない。顕微鏡だけではなく、顕微鏡の対物レンズや接眼レンズといった部品類も入札の対象になるという。
 短納期に対応するためには空輸をするか、福田商事が倉庫を借りてそこに在庫を保管しておくか、等と考えた。しかし、福田商事のニューヨーク事務所は、「駐在所」ですので、在庫を持つことはニューヨーク州法ではできない。ニューヨーク駐在事務所の法人化を真剣に考えないと、ビジネスの拡大は難しそうであると竹根は思いながら、ソーホー科学機器を離れた。

 その日は、晴れた良い天気であったこともあり、ソーホー科学機器からそれほど遠くない自由の女神に行くことにした。竹根も初めてである。バッテリー公園の船着き場から十数分の船旅である。海猫が船を追いかけてえさをねだる。乗船客の中には手慣れたもので、飛んでいる海猫群にお菓子を投げる。それを上手に海猫が空中キャッチをすると、乗船客が歓声を上げる。
 小太りの北野原であるが、意外と健脚である。ゆっくりではあったが、自由の女神の王冠のところまで百段以上ある階段を登った。そこから見るマンハッタンは、まさに摩天楼が天に突き刺さる光景であった。今日なら、新宿などあちこちで高層ビルを見ることができるので誰も感嘆することはないであろうが、竹根は、平素は、ビルの下を縫うように走る道を歩きながら上を見上げるだけであったので、自由の女神からやや俯瞰的に見る大パノラマは初めてであった。
  <続く>
 
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