【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 4月19日 社員研修には、どのくらいの費用がかかるのか?

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

  紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 知人の要請で、中小企業の勉強会でお話をしました。

 「あたり前の話でよければ」という条件付きで話したのですが、「あたり前の重要性をあらたにしました」というリップサービスを複数聞くことができました。

 リップサービスだと思っていましたら、そのうちの一社から来社要請がありました。

 どの様な話になるのか解りませんが、日時確定をしてお伺いすることにしました。

 楽しみです。

■【お節介焼き情報】 社員研修には、どのくらいの費用がかかるのか?

 ちょっとした情報が、私達の智慧となることは多々あります。

 その情報が知恵の源泉であることに気づかないで機会損失を起こしていることは、それ以上に多いのかもしれません。

 大企業ですと、独自の研修施設や関連企業を持っていますし、連日開催している企業が多いので、どのくらいの費用がかかるのかは解っているでしょう。

 一方で、中小企業が、自社独自の社員研修を行うことは希なケースと言えるほど、一般的には行われません。

 その理由のひとつが、費用がかかるからです。

 

 では、本当に費用がかかるのでしょうか。

 中小企業でも社員研修に社員を派遣することがあります。

 一回あたり平均して2万円とします。年間で10人を派遣したとしますと20万円プラス交通費や日当がかかります。

 一方、経営コンサルタントに社員研修を依頼した場合には、どのくらいの費用がかかるでしょうか。

 その差額は表面上の差でしかありません。

 他方、経営コンサルタントを自社に呼びますと、一度に多数の社員を受講させられます。

 しかも、自社に即したカリキュラムを組んでくれますので、社員研修の効果は抜群です。

 観念的に、経営コンサルタント費用は高いと思い込まないで、一度経営コンサルタントに社員研修について問い合わせてみては如何でしょうか。

  http://www.glomaconj.com/keieisha/2kenshutantosha.htm


■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

   ■【今日は何の日】 4月20日 ■ 郵政記念日、郵便週間 ■ 穀雨 【今日の写真】 春の京都 仁和寺  一年365日、毎日が何かの日

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。


■ 地図の日といえばこの人を忘れることはできません 419

 4月19日は「地図の日(最初の一歩の日)」ですが、地図といえば忘れてならないのが伊能忠敬ですね。
 江戸時代寛政年間に簡単な器械だけで足で稼いだ測量で、こんにちの地図と大きな違いなく作成したというのは驚きです。
 寛政年間といいますと浅間山噴火から天明の大飢饉などで一揆が多発した時代です。
 悪名高い田沼意次の失脚後、松平定信が寛政の改革を実施しました。
 その様な時代背景の中での実施は、一層困難であったのではないでしょうか。

 

■ 伊能忠敬 日本の正確な姿を明らかに

 いのう ただたか
 延享2年1月11日〈1745年2月11日〉-文化15年4月13日〈1818年5月17日〉

 江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家
 通称は三郎右衛門(さぶろえもん)、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。

 上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家に生まれました。後に伊能家の養子に入ります。

 忠敬が入婿した時代の佐原村は、利根川を利用した舟運の中継地として栄え、人口はおよそ5,000人という、関東でも有数の村でした。伊能家は、その村民の中でも特に経済力があり村全体に大きな発言権を持っていました。伊能家は酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいたほか、利根川水運などにも関わっていました。

 田沼意次は、幕府の収入を増やすため、利根川流域などに公認の河岸問屋を設け、そこから運上金を徴収する政策を実行しました。明和8年(1771年)11月、佐原村も、河岸運上を吟味するため、名主・組頭・百姓代は出頭するよう通告されました。

 佐原は利根川から十四、五町も離れていて、河岸問屋もなかったのですが、ようやくやりたいという人物が表れ、江戸との交渉役に忠敬は江戸へ出向くなど、村のためにも活躍しました。

 忠敬は、名主にも推挙されたのですが、天明3年(1783年)、浅間山の噴火などに伴って天明の大飢饉が発生し、佐原村もこの年、米が不作となり、そこでも手腕を振るいました。

 一方で、忠敬は暦学に興味を持っていて、江戸や京都から暦学の本を取り寄せて勉強したり、天体観測を行ったりして日々を過ごしていました。長男景孝に家督を譲り、店の仕事を任せるようにしました。次のような家訓をしたためて景敬に渡したといわれています。
 第一 仮にも偽をせす孝弟忠信にして正直たるへし
 第二 身の上の人ハ勿論身下の人にても教訓異見あらは急度相用堅く守るへし
 第三 篤敬謙譲とて言語進退を寛容に諸事謙り敬み少も人と争論など成べからず

 寛政7年(1795年)、50歳の忠敬は江戸へ行き、忠敬は、当時の暦の権威者である高橋至時の弟子となりました。50歳の忠敬に対し、師匠の至時は31歳でした。昔の中国の暦『授時暦』が、実際の天文現象と合わないことに気づいていた忠敬が、その理由を江戸の学者たちに質問したときに、唯一回答できたのが至時だったので師事したという話が伝えられています。

 忠敬は寝る間を惜しみ天体観測や測量の勉強をしていたため、「推歩先生」(推歩とは暦学のこと)というあだ名で呼ばれていたという逸話もあるほどです。師至時は、暦法『授時暦』やティコ・ブラーエやケプラーの理論にも通じていました。

 寛政8年(1796年)9月からおよそ1年半の間、至時は改暦作業のため京都に行くことになり、その間は間重富が指導につきました。その時に天体観測についても教えを受けたのです。観測技術や観測のための器具について精通していた重富を通じて観測機器を購入し、自宅に天文台を作り観測を行いました。取り揃えた観測機器は象限儀、圭表儀、垂揺球儀、子午儀などで、質量ともに幕府の天文台にも見劣りしなかったそうです。

 蝦夷地では帝政ロシアの圧力が強まり、アダム・ラクスマンが根室に入港して通商を求めたり、択捉島上陸事件などが起こったりました。瀑布は、蝦夷地の調査を行わせ、堀田仁助には蝦夷地の地図を作成させました。

 これらを契機として、忠敬にも命が下り、寛政12年(1800年)閏4月19日、自宅から蝦夷地へ向けて出発したのです。辛苦の地図作成作業が始まり、蝦夷地から種子島などまで南下し、文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国の測量を果たしました。間宮林蔵などの樺太測量などとあわせて、没後、『大日本沿海輿地全図』が完成され、国土の正確な姿を日本地図として明らかにしたのです。

 1818年、74歳の生涯を閉じました。1883年(明治16年)、贈正四位を授かっています。

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。

 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

 

【これまでのあらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 
【過去のタイトル】
 1.人選
  1ドル3 6 0円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理
  下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑
  人事推薦本命を確実にする資料作り
  有益資料へのお褒めの言葉 福田社長の突つ込み
  竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない
  福田社長の腹は決まっていた
 2. 思いは叶うか
  初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢
  竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる
 3.アメリカ初体験
  いよいよ渡米、初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり
  心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ
  ニューヨーク事務所で準備が始まる
  ニューヨークで稼働開始
  ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!?
  ニューヨーク生活もカネ次第
 4.迷いの始まり
    初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生   これって”恋”?
    新しいミッションはCIA?    新しいミッションはCIAのスパイではなかった
    新しいミッションの準備と竹根の気づき

 
4 迷いの始まり 4-8 誠意を持った対応

  <最新版> 毎週金曜日正午頃発信

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 

 本日は、明細リストからではなく、下記の総合URLよりご覧下さるようお願いします。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

>> もっと見る

カテゴリー

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db