【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 3月10日 江戸時代の食事は一日に6回?

 

 明けましておめでとうございます。

 昨夏より開始しました「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」ですが、お陰様で概ね好評です。

 それに甘んずることなく、このシリーズを、今年も継続して参ります。

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 作業の合間の時間を使ってですが、日本経営士協会のクリティカル・シンキング講座のパワーポイントを見直しました。

 主にアニメーションを中心としたチェックと制限時間内に納めるためのテンポ調整をどこでするかの目星をつけました。

 かつては頻繁に講師を務めていましたが、景気が良くないこともありますが、近年は、講師を務めることも少なくなりました。

 今回は3回シリーズの最終回ですので、これが最後の講演になるかもしれないという覚悟で臨むつもりです。

 

 かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々気分転換に、江戸に関する書籍を手に取ります。
 とりわけ故杉浦日向子女史の本は、江戸風物詩を手に取るように語ってくれます。

 

◆ 江戸時代の食事は一日に6回?

 

 江戸っ子は、銀しゃりを毎日食べていました。地方の庶民は玄米を食べるのが普通な時代ですので、江戸庶民は贅沢をしていたといえます。玄米をつくことにより、「二分搗き」とか「五分搗き」というように玄米にランクがあります。最終的には白米になります。

 白米、すなわち銀しゃりを毎日食べていたので、江戸っ子には脚気が多かったと言われています。そのために脚気のことを「江戸患い」といいました。

 ただし、三色銀しゃりを食べていたわけではなく、朝ご飯を炊いて、昼はメシ、夕食にはお茶漬けを食べていました。一日三食というのは江戸中期以降のことで、それまでは二食で足らしていました。江戸中期以降も二食ですごしている家庭もあり、一日何度食べるかは、その家の風習といえそうです。すなわち、一日に5~6回も食事をする家もあれば、一日一回だけのどか食いの家もあります。

 三食のうち、昼飯が最も豪華で、すなわち昼飯は英語で言うとLunch ではなく Dinnerというべきです。ご存知のように夕食とはdinnerとsupper とふたつの単語がありますが、前者は「晩餐」と訳されることが多いように、一日のうちで最も豪華な食事のことです。すなわち江戸っ子の晩餐は昼なのです。

 では、江戸っ子の晩餐(昼食)は、どのようなモノだったのでしょうか。晩餐といわれるゆえんは、昼食には焼き魚が付くので、たとえ冷めた飯ではありますが、時間をたっぷりかけて食事をします。

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
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  ■【今日は何の日】 3月11日 東日本大震災 ■ パンダ発見の日 【カシャリ! ひとり旅】早春の詩仙堂  一年365日、毎日が何かの日

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 明治以降東京は二度の壊滅を経験している 310
 

 江戸時代、何度も大火に見舞われている東京ですが、明治以降は神戸や東北の各地に近い被災を二度経験しています。
 一度は関東大震災、二度目は第二次大戦・太平洋戦争です。
 私の家族は都心から30㎞近くも離れている東京の西の方に住んでいました。
 東京大空襲のあった3月10日の夜は、東の空が真っ赤に見えたと言いますので、その凄まじさは言語に尽くせないものであったのではないでしょうか。

 戦争を知らない人が多い日本ですが、有り難いことですね。
 終戦後20年経過した時には東海道新幹線がはしり、その十年後の1975年には、東海道新幹線は全線開通した山陽新幹線と繋がりました。

 それがあたりまえに感じていますが、地球上、どこかで戦争・内戦が起こっています。
 平和ボケをしているという私達ですが、いつまでもこの平和が続いて欲しいですね。

 

(ドアノブ)

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 

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