■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山1  いざ、弥陀ヶ原湿原へ

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山  いざ、弥陀ヶ原湿原へ
公式サイト 関連資料(秘)  

■ 月山

 月山(がっさん)は、出羽三山の一つです。

 海抜1,984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山です。頂上の「おむろ」に月山神社があり、月を司る「月読命(つくよみのみこと)が祀られています。八合目のバス停から3時間ほどで月山頂上に着けるそうです。

 月山に行くには、ある程度の登山装備が必要です。私は1時間半の行程ですので、今回は、月山登山を諦め、弥陀ヶ原湿原だけに限定しました。

 

■ 月山・弥陀ヶ原湿原

  弥陀ヶ原(みだがはら)は、月山八合目に広がる湿原です。羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。

 夏の訪れとともに月山の山開きが行われ、白装束の参拝者の姿が見受けられるようになります。八合目にある御田原から山頂にかけては、高山植物の宝庫です。

 ニッコウキスゲ、クサンチドリ、イワイチョウ、ヒナザクラなど、その数は130種類以上になります。特に池塘付近には、みごとな群落か見られます。

 この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。

 

■ アクセス

 山が手兼鶴岡市から庄内バスで、羽黒山経由で約二時間のところにあります。

 
 
 
月山八合目

 月山へのバスは、4月から9月までの期間しか運行がありません。それを逃すと、レンタカーなどをしなければなりませんので、4時半に起き、バスターミナルから6時のバスに乗ることにしました。

 ホテルからは、鶴岡駅のバス停が近いのですが、バスターミナルから乗ることにより座席を確保できました。マイクロバスよりやや大きめのバス車体でしたが、始発の段階で、ほぼ満席でした。二時間近いバスでの移動には座席確保が優先です。

 月山には、羽黒山を経由してゆくことになります。

 7時ちょっと前に、羽黒山頂バス停に到着し、10分ほどの休憩です。御手洗いがありますが、善意の有料ですので、我慢できる人は終点の月山八合目で用を足すのもひとつの方法です。

 そのバスで、さらに一時間の行程ですが、途中、道路が厓崩壊で寸断されているとのことで、一瞬ヒヤッとしました。迂回ルートで行かれることがわかりホッとしました。

 途中、つづら折れの坂をウンウンとうなりながら、立っている人もいる満席の状態で月山に向かいました。エンストでも起こしはしないかと心配になるほどでした。

 迂回ルートをとったものの、10数分遅れで月山八合目に到着しました。

 私のスケジュールでは、ここ弥陀ヶ原湿原では一時間半の滞在で、次のバスに乗れる計算でしたので、十分の遅れは行程に響きかねません。
 

■ 大鳥居

 南北朝の末期から羽黒山に勢力を得た大泉庄の地頭である武藤氏は、武藤政氏の代に、羽黒山の別当を名乗り、子孫にその職を継いで行くことになりました。

 政氏は、長慶天皇のとき、文中元年に羽黒山に国宝である五重塔を再建しました。

 その居城である大宝寺(鶴岡)に鳥居を建立させ、羽黒山一の鳥居としましたが、当時のものは、今はなく、鳥居町という町名が残っているだけです。

 私が訪れた現在の一の鳥居は、羽黒街道が羽黒丘陵にかかるこの地にあります。昭和4年に山形市吉岡鉄太郎が奉納した、高さが22.5mもある大鳥居です。

 

 

弥陀ヶ原1  月山八合目と弥陀ヶ原 7分
月山八合目への道と弥陀ヶ原にある御田原神社・参篭所
弥陀ヶ原2  月山八合目弥陀ヶ原湿原 7分
弥陀ヶ原湿原はお花畑と池塘がその代表です