こちらが現在秋田県立美術館で開催されている展覧会らしいです。
らしいと言うからには、コロナ禍でどうなるだろうという不安があります。
ここで初めて伝える気がしているのですが、
私は絵画を見るのも描くのも大好きです。
一度は絵を描く事を生業として生活できぬものかと考えていたほどです。
才能は全くありません。しかし、器用ではあります。その証に肖像画を最も得意としています。

学生の頃はまあまあ似てなくても、モデルとしてお願いした方の身体のムーブメントや醸し出す雰囲気などが、わたしのイメージと一致する時にこれだ!と思うものを描いて、夢中で描いて、
展覧会へ出展していました。

顧問には、高校生らしくて、賞を狙える作品を描け!奇をてらったものはもってのほかだ!

そう言われ続けましたが、私は我が道を突き進みました。とにかく個性的を表す事を禁止されていたので、小手先が上手で無難な学生らしい?
学生らしいって何だ?
そう言う絵を描かなければ辞めろ!

私はいわれた通り即、辞めて差し上げました。
その当時、高校美術展に出品する作品を制作していましたが、画材を背負って自宅に持ち帰り、
顧問が嫌った絵を書き上げました。
写実ではありましたが、構図はありえないような空想とリアリティを混ぜ混んだ構図。
それは私が得意としているものでした。
描き上げた作品を中央展の

「群炎展」に出品しました。
その時にも私は東京に一度も降り立ったことがありませんでした。どうやって出品したかというと
高校生の小娘が、企画している名のある日本画家の方に直接手紙を出したのです。

まず、いきさつと、秋田から東京へ出品するにはどのようにすなければならないのか?
納期と包装、額装の方法。搬入と搬出に使う運送屋さんと運送料金。
それがなんと、その日本画家S さんが私にすべて任せなさい。あなたは私の家へ送るだけでいい。

何ということでしょうか。

私は張り切って、出品しても見に行くことも出来ない展覧会へ搬入してしまいました。

結果は奇跡的に入選となり、
10枚程の大きめの私の絵画のポートレートを付けて返却して下さいました。
感激しました。絵を愛する人に助けてもらったのです。

それからと言うもの、私は人物画ばかり描いていました。
女性、幼子、大好きな平井堅のデッサン。
そうしている内に、

いや、待って。
私の自画像、顔を修正しながら描けるよね!
じゃあ、遺影を描こう!少し若いうちに!

もちろん肖像画として飾るものではなく、
遺影として、仏間に飾るものですので、
紋付きを着たときのものにしよう。
娘の中学卒業式の写真で遺影にしてもらおう。
そう考えてもう、すっかり道具も画材も買い揃えました。
あとは描くだけなのですが、
何故か気力が出て来ない。

あら?これって、私はこれから長生きするんじゃ無いかしら?
病気で障害持ちで長生きだったら、
迷惑でしかない。

そう思っていても、引っ越し後からのんびりし過ぎています。
センセーショナルな絵画を描く時には
環境と心を整える必要があります。
いまは、こんなにのんびりしていますので、
きっと良い作品は描けないと思います。

もっとハングリーで、筆を離したくない欲。
その思いが湧き上がると、私の絵はうまく進みます。完成することがあれば、
その遺影をお披露目できればと思います。

でも、一体いつになるのでしょうね(笑)

それでは皆さま、どうかコロナウイルスにはお気をつけて下さいね。
また次回ご覧になってくれたら嬉しいです。
おやすみなさいませ。