日毎に寒さが増すこの頃、
皆様 ご無事に過ごされていますか?
コロナの脅威にさらされ
人間の力など、
なんと非力だと思い知らされます。

さて、
私がこの障害を負ってから数えてみると
15年ほど経過したようです。
計算は  ちょっと自信ないので
ざっとそのくらいです。

ようやく飲み込めたのか?
はたまた
まだまだ若輩者よ。
など意見がありそうですね。

私は生まれてこれまでに
なんて私は不幸な星の下に生まれたのだろう
こんな辛い思いばかりで、
毎日過ぎてゆく。
周りの人達が羨ましくて
なんて幸せそうなんだろう。

ずっとそう思っていました。

しかし、井の中の蛙とは私の事。
世の中を知れば知るほど、
針のむしろを歩いてきた強者を
ことごとく見てきました。
強者と言っても元来強い人間ではありません。
みんなおんなじ命の始まりでした。

しかし、それぞれが
全員違う世界に投げ出され
違う試練や幸福に出会います

運の悪い人や、めぐり合わせのなかった人。
自分はその中に放り出された。
そうなんだなあと思っています。

でも、この世に一本の木として生まれてきたとします。
それぞれ同じ紙になったら
同じ運命でしょうか?

ある紙は言葉をのせる便箋や封筒に。
また、トイレットペーパーやキッチンペーパー、
ティッシュペーパーなど無いと困るけど、
絶対に使い捨てになる運命だったり。

そしてまたある紙は、
印刷会社のインクに挟まれ4回も刷られて
断裁され熱い糊付けをされ
つるつるした表紙を付けられ
百科事典になり、高値をつけられ
図書館で数十年も伝承の役目を担う紙もあります。

そして紙に生まれて最高峰の憧れの的が
一万円札でしょうかねー。

では、
あなたは紙に例えたら、
いったいどんな紙ですか?

私は使えるだけ使った
新聞紙だと思っています。
たくさんの情報が乗っかっていたのに
誰もすみずみまで読んでくれません。
読んだ人にしても
何かを包むならまだしも
情報量の割には
便利で重宝な紙として、でも
結局残らないものになります

どっちみち私の情報は
万人が見るものではありません

なんだか人間の人生も
こんな感じなのかなーって思ってしまいました。
私は人間の種別の中で
どこで生きてゆけば良いのだろう?

高次脳機能障害は見た目では、
あれ?フツーだよ。
ほぼそう言われませんか?
確かに見た目は
ことごとくフツーなんですよね。

この15年間
見た目フツーの脳障害者として
並じゃ出来ない努力と屈辱を味わってきました。
この15年を私は欲しかったのか?
健常で過ごしたかったのか?

そうじゃありません。

おわかりになられた方もおられるでしょう。
私はあの日
自ら人生を捨てたのです
すべて無くなるはずでした。
しかし、この命と障害を持ち続けて生きなければならない運命だったようです。

助かった命を素直に汲み取れない理由。

今でもこの障害は私の背負う
罰だと思っています。
理解の得られない障害の理解って
どうすれば得られるのか。
これは相手によりけりですが
私の相手とは
永遠の課題となりそうです。