皆様こんばんは。
コロナ禍におきまして、皆様の体調はいかがでしょうか。
自粛中の心身の落ち込みはありませんか?

さて、アメブロを拝見させて頂くようになり、
私の脳障害と同じ障害を負われている方の、
あっ!それ、そうなの!と思わせて頂ける事に、
ずっと背負ってゆく孤独な、そして、
誰にも理解されない障害、
そんな暗闇から、

「大丈夫」

そう言われたような気持ちになりました。
今夜だいぶ遅くなってからの更新ですが、
毎日、更新を忘れてしまうので

こんな夜中にブログ更新かよ!

と言った所でしょうか・・・( ˆ꒳​ˆ; )

さてさて。
私は障害を負ったとは知らずに、
春から冬まで過ごし、
もう・・・えーっと。
15、6年? そんなに経過したんだ・・・
という感じです。
当初は何かなんだか全てが夢から覚めきっていないまま、病院の名前も場所もわからずに、
手提げカバンを持ってウロウロして、
閉鎖病棟から実家へ帰ろうと彷徨っていました。

もちろん、施錠されていたので、
出られそー・・・なのに出られません。
おかしい。と気づくまで数ヶ月。
そして一年間の入院の後、
せっかく退院したのに、今までこなせた事が出来ません。

それは記憶障害の辛さの次に、

今まで経験したことのない
疲労感
だったのです。

とにかく、一つの物事をこなせないのに、
姑様は嫁が戻ったぞ!
と、とにかく働かされます。
もちろん姑様は障害を理解していません。
毎日倒れそうな疲労と戦い、
理解されないなら私が馴染むしかない!
そのうちできるようになる!かも。

しかし、実際は無理でした。
それを痛感したのが、スポ少の送り迎えの時でした。

七人分の洗濯物を取り入れ、仕分けてたたみ、
早めに七人分の夕食と、お弁当のおかず作りと、
小学生の持ってきた給食袋やらお知らせの手紙やら、体育着の洗濯やら
なんだか、思い出したくなくなってしまいます。
そしてお兄ちゃんと、下の子が別々のスポ少に入っているのでタイミングもバラバラです。

もうこの段階で高次脳機能障害の母さんは
ほぼ、壊れます。
なのに壊れていることも気が付きません。
ポンコツ母さんは慌ててスポ少に遅れまいと
一時停止を無視して事故に遭いました。
田んぼからレッカーで車を引き上げるほどでしたが、幸い誰も怪我はありませんでした。

でも、その時思ったのです。
漠然とですが

私、できなくなってるな。
もう、元に戻らないのかな?

今頃?いまわかったのか・・・

そう、きっと良くなってゆく気がしていました。
それからはもう、

毎日疲れ、疲れ、疲れ、
働き、働き、働かされ、
寝る間も惜しんで仕事ができたらな。
(まず無理です。)

あぁ、
休みたい。
そう、異常に疲れる障害だと一番自覚できていなかったのは、私本人だったのです。
肉体疲労ではなく、脳の疲労。
それはとてつもなく、
重い鉛の液体に体が閉じ込められるように。
疲れにがんじがらめにされていました。

その環境で、無事に生きられるわけがありません。私は子供達の親です。
嫁で、妻である前に、
この子達の母親です。
疲労困憊して何か起こしてしまったら・・・

そして再入院。
それからは姑様たちと離れて生活をはじめ、
実家に来ても結局、
今度はお金の問題でDVをする兄から逃げるため
母とアパートへようやく逃げ込みました。

それからは、
「もうだめだ。休まないと、休まないと。」

と、言う現象が起きません。
ずっと休んで居たかった私が、積極的に家事をこなします。
もちろん、休み休みです。

今の生活は休むのも自由。
動くのもたまにで充分。

しかし、私が動かなければ
母はほぼ動けません。
しかし、お互いに無理して動かないのです。

たまに、動き出したり、
動いてる最中にも、
たまに休みます。

調子が良くて続けて仕事ができそうなときも、
意識して、休むようにしています。
休憩時のために、好きなアイスクリームやら
旨いコーヒーやら、
ずっと休めそうなものですね。

きっと、健康な方はだらけてるとしか見えないでしょう。毎度それでイヤな目にあったり、誤解を生じたりしています。

しかし、
今はいいのです。
母と暮らすこの環境が素晴らしく良いのです。

あぁ、そろそろ眠らないと明日が大変!
皆様がどうか、健康に毎日を過ごせますように、心から願っています。
マスク、手洗い、うがい、
インフルエンザとコロナウイルスが
同時に流行る季節になりました。
皆様どうかご自愛くださいますようねがっております。
今夜は遅くなってからの投稿申し訳ありませんでした。
どうかごゆっくりおやすみなさい。