パンダが振り返る重賞レース -16ページ目

パンダが振り返る重賞レース

JRA(中央競馬)の重賞レースを回顧します。ぶっちゃけ未来につながる予想用備忘録です。

トゥザヴィクトリーは海外GIを含めれば11戦していますが、その中で勝利したレースは2001年のエリザベス女王杯だけです。それ以外のGIレースは2着~5着が6回あります。しかし、その一つに海外遠征のドバイワールドC(GI)2着が混ざっています。

この2着は海外遠征の中でも金に近い銀メダルとなっています。2011年にヴィクトワールピサの初勝利となるまで、トゥザヴィクトリーの2着が日本馬の最高記録でした。トゥザヴィクトリーの果敢な挑戦がこの10年後に花開いたことになります。そして、ドバイ2着でトゥザヴィクトリーは一躍有名となり、7ヶ月休んだ後にエリザベス女王杯に出走しました。ドバイで何かを掴んだトゥザヴィクトリーのレースを振り返ります。

綺麗に15頭がスタート。1番人気のテイエムオーシャンは前に上がり3番手の位置。トゥザヴィクトリーはなんと後方待機策です。ドバイワールドCとは異なる戦法です。レース中盤からやや縦長と展開となり、トゥザヴィクトリーはまだまだ後方です。直線前にはテイエムオーシャンが絶好の位置に付き、いよいよ直線へと入ります。

直線ではテイエムオーシャンが一気に先頭へ躍り出ますが、その後ろからトゥザヴィクトリー、ローズバドが追い込んで来ます。粘るテイエムオーシャン。しかし、ゴール前にこの2頭に捕まってしまいトゥザヴィクトリーが接戦を制しました。
1991年といえば世代最強馬のトウカイテイオーが走っていた頃です。そのトウカイテイオーのライバル馬候補としては、レオダーバン、イブキマイカグラの名があがります。特にイブキマイカグラは阪神3歳ステークス(GI)をレコード勝ちしており、早くからライバル馬として注目を集めていました。

そして、迎えた皐月賞(GI)ではトウカイテイオーにも敗れて4着。次はそのままダービーに挑戦かと思えば、イブキマイカグラはダービートライアルレースNHK杯(GⅡ)芝2000mに出走します。そして、後の語り草となる凄まじい末脚を披露しました。では、振り返ります。

まずは16頭が綺麗に揃ったスタート。先行馬が前に出てレースを引っ張ります。イブキマイカグラは後方に待機です。レースは先頭集団にいる数頭の馬が、イブキマイカグラを含む後続馬を大きく引き離した展開となります。その差は5~6馬身以上とかなりの距離です。そして、直線前では徐々に後続馬が差を詰めてきます。イブキマイカグラも同様にあがっていきますが、あがるのが遅く大外周りとなり、後方から2番手での追い込み勝負です。

直線へ入り、各馬が一斉にスパート。大外を回ったイブキマイカグラは最後尾から猛ダッシュ。そこから、一頭、また一頭と、イブキマイカグラが前の馬を追い抜いていきます。そして、気がつけば15頭、全ての馬をごぼう抜きにしてゴールしていました。

マチカネフクキタルはデビュー当初、それほど注目された馬ではありませんでした。

97年、未勝利戦を初勝利して、日本ダービーのトライアルレース、プリンシパルSに出走して2着となり、ダービーに出たものの7着と惨敗。ですが、マチカネフクキタルは秋から大化けします。

まず、神戸新聞杯(GⅡ)ではサイレンススズカに驚異的な追い込みで差し切って勝利。続く、京都新聞杯(GⅡ)では、あのメジロブライトにも勝利して、マチカネフクキタルは菊花賞の有力候補となりました。ですが、当日は3番人気です。これは父のクリスタルグリッターズが短中距離馬と思われていたことや、母の父がトウショウボーイという短距離系だったことが理由です。では、レースを振り返ります。

スタートは割と綺麗に揃います。序盤のマチカネフクキタルは先頭から3番手。ライバル馬のシルクジャスティスとメジロブライトは後方待機です。レース展開は終盤まではほとんど順位に変動がなく、マチカネフクキタルは先頭集団をキープ。直線前でようやく後方からシルクジャスティスとメジロブライトが前に上がっていきます。

直線で先に先頭に立ったのはメジロブライト。そのまま後続馬を突き放すかと思えば伸びません。その背後から迫ってきたのがマチカネフクキタルです。スタミナの心配などなかったようにメジロブライトを抜き去り、菊花賞を制しました。
1996年、高松宮杯(GI)芝1200mは94年に三冠馬となり、最強馬として君臨したナリタブライアンの最後のレースです。5歳の時に右股関節炎を発症して以来、体調不良と言われながらも天皇賞・秋(GI)に出走して12着と惨敗。それ以来、96年の阪神大賞典(GⅡ)以外は勝つことはできませんでした。

これから紹介する96年の高松宮杯では、本来、中距離馬であるナリタブライアンが短距離に出走することで大きな話題となりました。では、レースを振り返ります。

スタートからフラワーパークが先行して短距離での先行策というお決まりの必勝パターンを見せつけていきます。ナリタブライアンは後方から3番目。中距離馬であるナリタブライアンがどうして前に出ていないのか。多くの競馬ファンが不安に思ったことでしょう。400の標識を過ぎてもナリタブライアンはまだ後方。フラワーパークは絶好の位置で直線へと入ります。

先頭はフラワーパーク。完全に抜け出す形となり、ナリタブライアンは伸びません。そして、フラワーパークが1着でゴールした後、4着となりました。

この高松宮杯から1ヶ月後、ナリタブライアンは右前脚に屈腱炎を発症したと診断され、治療を試みましたが引退となります。名馬の走りがあっさりと見られなくなった現実に多くのファンが悲しみました。そして、11月9日には京都競馬場、11月16日には東京競馬場で引退式が行われました。

1994年のクラシックはナリタブライアンが史上5頭目の三冠馬となり、競馬界を大きく盛り上げました。その強さから愛称は「シャドーロールの怪物」といわれたナリタブライアン。しかし、そのナリタブライアンの三冠阻止(菊花賞(GI))に真っ向から挑んだ馬がいます。それがヤシマソブリンです。レースはナリタブライアンの動きに注目が集まりがちですが、今回はヤシマソブリンの動向も追いながら振り返りたいと思います。

まずは揃ったスタート。ナリタブライアンが好スタートを切り2番手に付ける。序盤のヤシマソブリンは中団の位置です。1週目の第四コーナーではナリタブライアンはやや中団より前を走っています。かなりスローペースで進んでいくレース展開。中盤になると、ヤシマソブリンがナリタブライアンより前に出ています。これはナリタブライアンの末脚を封じる作戦です。そして、600の標識を過ぎる頃、逃げていたスティールキャストが捕まり始めます。ナリタブライアンは現在4番手。ここでもヤシマソブリンが先に動き3番手となり、直線に入ります。

先頭はヤシマソブリン。まさにナリタブライアンを封じる作戦通りの展開。しかし、普通の馬ならいざ知らず、有利な作戦ぐらいでシャドーロールの怪物を止めることはできません。最後は爆発的な末脚で後続馬を一気に突き放し見事三冠馬となりました。