こんばんは。
景風です。
またまた久しぶりの更新になってしまいました。
久しぶり。。。の間には、
北海道はコロナの緊急事態宣言が一度解除されたら、東京での感染が拡大し、全国一斉の緊急事態宣言のすぐ後に北海道には第二波がきて。。←もうすでに、遠い過去
なんだか目まぐるしく毎日が過ぎ去って行きました。←言い訳
私は児童館でも働いているので、学校が休校になれば、児童館は忙しくなる(長時間開館せざるを得なくなる)訳で、緊急事態宣言の意味ってってすごく考えさせられました。
前置きが長くなりましたが、それでも前ほど勤務時間は無くなったので、
自分を見つめる時間(や実家の農業を手伝う時間も)を取るようになりました。
オンラインセミナーに参加したり、セッションを受けたりして、とにかく自分を知ろうとしました。
知ろうとしました。って言ったのは、知ろうとしていたけど、自分を取り繕っている薄いベールは剥がすことは、なんとなくできたってだけです。
何せ、自分の一番見たくないところは、見ないようにしてきたのがわかったし、いざそこに向かおうとすると今でも見るのが怖くて、まだ半分も立ち向かえていないのです。
これは相当時間がかかりそう
です。
でも、諦めないで立ち向かおうと思います。
ブログで書けるのかなー、無理かもなぁ
でね、タイトルのかめですが、
遡ること一年ちょっと前までは
私、前職は小学校教員だったから、
クラスの担任は一人だし←当たり前
教科も領域も全部教えなきゃいけないし←これも当たり前
全部やろうとすると絶対17時には帰れないし、
なんなんだろうなぁって、ずっと思っていました。
でさ、あけさんとのセッションで仕事の何が一番嫌だった?
って聞かれたその先には、
完璧を装わなければいけない自分が嫌だったってことに気づかされたんだ。←ポエムしてたらそりゃ気付かない
私、プライドだけは高くて実は完璧にはできないのにさ、
時間内でできないことは、もちろん残業したり、土日出勤したりして、なんとか間に合わせて、
必死で鉄壁の鎧(風)を着て(着たつもりになって)、子どもや保護者、職員の前に立っていたんだ。←そうならなくてもいい人の前ではよく泣いてたな
だからね、自分はいつからこうなったんだろう?って思った時に
思い出したの。
私、妹に
かめ
ってあだ名つけられてたーーーってこと
たびたび笑い話にしてたけどさ、
本当にかめだったんだよね。
頭の回転も早くないから、二個下の妹には喧嘩でいつも泣かされてたし←悔しいから私は姑息な手を使って妹が怒られるように仕向けたけど笑
中学年だったときの担任には「お前本当に不器用だな」って言われたし、←プライドは高いから傷ついていた
図工でも絵を描くのが遅すぎて、土曜日の午後先生のお弁当分けてもらって絵を残って描いていた←土曜も学校があった時代。
何をするにも人一倍時間がかかってしまう自分はダメなんだと
どっかで否定して、必死に取り繕ってたな。
かれこれ、30年くらい
もっと周りに、すぐにはできないよ、誰かやって♪みたいに
頼って生きてこれたんじゃないかい?
そんなかめな自分を早くに認めてもっと楽に生きられた方法もあったんじゃないかなって、今は思うよ。
でも、かめでも自分はよかったなって思う部分があってね、
「うさぎとかめ
」に出てくるかめ
みたいに、
ずーっと歩みは止めずに、書道だけは続けてやってきたんだよね。書かない期間があっても書道の研究はしてたし。
だから、そんなかめの部分は一番の誇りに思っている
ていう話。
自分を受け入れることって、こういうことかなと少しだけわかった気がする。
少し、気持ちも落ち着いたからようやくブログが書けました。
大好きなことをしていく毎日を大切に
今日も素敵な一日になりました。
keifu