ブログがご無沙汰ですが、2月にあったこととしてこれだけは書いておきたい。
故 柿下木冠先生のお別れの会が、静岡で行われました。
独立書人団の中枢として長く活躍され、山崎大抱、手島右卿両先生の門人として、その息を現代に残す作家でした。
私の師匠、柿沼翠流は、長く山崎大抱先生に師事され、薫陶を得ました。柿下先生とは同門で、兄弟弟子、盟友、同士でした。
山崎先生亡き後に柿下先生が率いられた抱一会にも、師匠は長く在籍されていました。
翠流師の方が少し年上でしたので、少し早く逝ってしまいましたが、「柿下さん、」と話しだす翠流の目はいつも輝き、懐かしさと確かな強さを持ったものでした。
偉大な2人が、鬼籍に入られました。
書をする者にも、やはりルーツが気になります。
古くは比田井天来先生あり、手島先生があり、その弟子に山崎先生がいる。
それぞれに違った表現で、かつ脈々と受け継がれるものがある。
師と「兄弟」にあたる柿下先生の作品にはやはり、師と同じ血脈があり、面影がある。
作品だけではなく、体から発するオーラ、力にも、同じものを感じてきました。
師亡き後も、作品を、楽しみに楽しみに見てきた一人です。
私は柿沼翠流の「子」であるわけですが、
書の「おじ」として尊敬してやまない
偉大な作家でした。
これから何を愉しみに書を見て、
何を目標としていけばいいのか。
これまでたくさんの、「目に見える」目標がありましたが、少しずつ少しずつそれは減っていき、
目に見えない目標と戦うことになっています。
答えは自分の中にしかないのだろうと、思います。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
「生死の中の雪ふりしきる」
山頭火の句。
木冠先生の傑作ですね。
師の作品としても同じ文言のものがあります。
同じく、「生死の中の雪ふりしきる」
あぁ、本当に寂しい。