菱田春草展 | 宇都宮の書道教室【啓桜書道教室】

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http://onozaki-keita.com/


先月末に菱田春草展へ行ってきました。














2007年頃だったか、明治神宮内の展示室で菱田春草展が開かれていて、





たまたま何かの折に見ることができた。





そのときとても惚れ込みました。








菱田春草は、


明治生まれの日本画家。東京美術学校(現・東京芸術大学)で岡倉天心に学びます。





同期に横山大観など、後に日本画壇の巨匠となる面々のなか、





日本画の開拓に挑みます。





繊細で優美な表現は、一度見ないとわかりません。





天才の運命なのか、36歳という若さでこの世を去ります。





晩年の 「落葉」 の連作は、長谷川等伯の松林図屏風を思い起こさせます。





鮮やかな落ち葉は、等伯よりも絵に親近感を覚える。












菱田春草 「落葉」








画才という点では横山大観をはるか超えていると思う。





十代後半から二十代の絵が、すでに神がかりと思うほど。











そして春草といえば猫。 





生きて、そこにいるような猫。  





一度目を合わせると、ぐっと捕まれたように目を離せません。








そしてもう一人、





猫の画家といえば、レオナ―ル・フジタ。












藤田嗣治 「猫」





彼ほど猫を愛し、猫をモデルに絵を描いた画家はいません。







春草とフジタ。 日本画と洋画。  共通する猫。





海外の画法を取り入れ、輪郭線を廃した朦朧体に挑んだ日本画の春草。





かたや、洋画にも日本の技術を用い、墨で輪郭を描いた洋画のフジタ。











日本画だろうが洋画だろうが!!





という気持ちが、二人に共通する。








このふたりの画家は、何度みても飽きない。








そういえば、昭和の三筆・手島右卿も、晩年に「猫」という作品をいくつか発表している。





その「猫」作に対して、 「書の存在感」 という言葉を残しています。





“「書かれた猫字」ではなく「猫字が居る」の印象・・・”だと。





「生き物のような書を・・・」 といった右卿が、晩年に 「猫」。





http://www.dokuritsu.or.jp/yuukei/tesima.htm








春草、フジタの「猫」と相俟って、不思議な感覚に陥るのは、自分だけでしょうか。





芸術家と猫。








キャンバスの上に、もし犬であったら、


猫のような、秘めやかな存在感は出ませんね。










なぜだろう。