泰山木は
その姿を愛でた後丁寧に淹れた煎茶といただく。
甘すぎない白餡が程よく美味だった。
実は昨日銀座まで出かけた帰りに
三越のデパ地下で出会ったこれは
菓子舗の名を意識していなかったが
かつていただいて母と孫と喜んで食べた白鷺宝で知られる菓匠花見なのだった。
そういえば
埼玉在住のユズモモさんからも
季節限定のメロンや西瓜の白鷺宝をいただいたこともあった。
![うさぎ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/176.png)
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また買いに行こう。
そして今朝は
朝メシ前シゴトで
新玉ねぎとパプリカをグリル、
詰みたてのローズマリーとたっぷりかけたオリーブ油がポイント。
ベーコン、セロリと新玉ねぎをスープに仕立てておいた。
それらは全てけいあゆのランチに。
スープにはトマトをプラスして
たっぷりのチーズをトッピング。
シンプルなのに美味しいスープになった。
野菜のグリルはワンディッシュの一品に。
ローストビーフはアボカドやカテッジチーズと合わせて醤油ベースの自家製ドレッシングで。
セロリの先っぽはダロワイヨのタラモを付けていただく。
こんなランチを楽しめるほど
不調を脱したけいあゆ、
どうやら娘も不調で
医師に診てもらい
気候変化への不適応やシゴトのし過ぎによる過労を示唆されたらしい。
けいあゆには
シゴトによる過労はないが
朝まで本に耽るような真似は
避けねばと思った次第である。
そんなけいあゆ、
昨夜は珍しくリアルタイムで
ドラマ『光る君へ』を見た。
伊周隆家の兄弟が花山院への謀反のかどで
流罪となる長徳の変が主軸だったが
そんな歴史的な出来事を踏まえてのドラマ展開に
あれっ?と思うことがあって
それは隆家くんの配流(はいる)先が"出雲"とされたことだった。
ずいぶん前に読んだ『栄花物語』の一節では
確かその配流先は"但馬"だったような…
そんな釈然としない気持ちは
改めて『栄花物語』などの文献を読み返してみて腑に落ちた。
隆家くんは配流先の出雲へ向かう途次
病気を理由に但馬に留まったのだった。
但馬は
大学進学後お世話になったご夫妻の出身地で
退職後其処に帰られて亡くなられたので
未踏ながら意識に上る国名として記憶されたのだった。
さて記憶の中の隆家くんは
さがな者(荒くれ者)で
文化的レベルの高い中の関白家の中ではちょっと異質な存在、
長徳の変で
実際に院の袖を射抜いたのも彼、
院の配下との闘争で
院に付き随う童子ふたりを殺害し首を持ち帰ったのも彼の配下の者たちだった。
一方で私には
『枕草子』に頻繁に登場する隆家くんのちゃめっ気も忘れ難い。
彼は中宮様の元にやってきて
見事な扇の骨を手に入れたと自慢する。
それはあまりに素晴らしくて
紙を貼って(中宮様に)差し上げようと思うものの
並ひととおりの紙では相応しくないので
探している最中なのだという。
興味を持たれた中宮様が
どんな骨がと尋ねられると
「『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す」
(「『全くこれまで見たことのない骨の様子だ』と人々が申します」)
と得意満面の隆家。
其処で清少納言が
「さては、扇のにはあらで海月のななり」
(それならば(その骨は)扇の骨ではなくてクラゲの骨であるようだ。)
と口にする。
誰も見たことのない骨ならば、さしずめクラゲの骨なのだろうと茶化したのである。
茶化された隆家は言う。
「これ隆家が言(こと)にしてむ」
(これは隆家が言った言葉にしてしまおう)
それほど清少納言の当意即妙の機知に感心したというのである。
なかなかお茶目なヤツではないか?
少なくとも
自慢の鼻を軽くへし折られて
ムキになるような無粋なヤツではなかったということだ。
さてその隆家くん
自ら引き起こしたとも言える長徳の変の後
不遇のうちに世を去った姉や兄の亡き後も
長く生きて
道長政権下で存在感を発揮することになるのだが
それについてドラマでは
安倍晴明がサラリと予言して
上手い伏線が張られたようだ。
それについては
小説家葉室麟が作品にものしている。
とはいえむしろ私には
自ら求めて
太宰の権帥(ごんのそち)になって筑紫に赴いたこと
が興味深い。
其処は古くは菅原道真が流されて憤死し
かつて兄伊周も
強いられた配流先である。
そんな太宰府に
隆家くんが進んで赴いたのは
眼病治療のため。
当時其処に唐人の眼病治療の名医がいたらしい。
それが結局
葉室麟が小説に取り上げた刀伊の侵攻を防ぐ快挙に繋がったのだった。
筑紫に下ったのは
既に宮廷に返り咲いて
支持する者も少なくなかった時期だが、
彼には政治権力より"目"だった。
なかなかさっぱりしていてわかりやすいヤツである。
ドラマに触発されて
読み返したい文献も多々あるが
今はまだカラダが大事。
私もさっぱりわかりやすい選択をした方がよさそうだ。