今朝は和菓子から始めた。




練り切りの銘は『泰山木』




泰山木は

その花と出会って七年、
その名前を知ってからわずか六年だが
この季節になると気になる花だ。



その姿を愛でた後丁寧に淹れた煎茶といただく。

甘すぎない白餡が程よく美味だった。




実は昨日銀座まで出かけた帰りに


三越のデパ地下で出会ったこれは

菓子舗の名を意識していなかったが


かつていただいて母と孫と喜んで食べた白鷺宝で知られる菓匠花見なのだった。

そういえば

埼玉在住のユズモモさんからも

季節限定のメロンや西瓜の白鷺宝をいただいたこともあった。





さて昨日は

体調不良から回復できたら
銀座に赴いて
香久子さんやみずほさんに短時間でもお目にかかりたいなぁと思って
半衿付けしたり着物や帯の支度をしているうちに

俄然元気が漲ってきたので

さっくりと身支度して
バス〜メトロと乗り継いで約一時間の銀座へ。

出かける直前に銀座へ向かう旨ブログに書いてアップし
香久子さんにLINEしておよその到着時間を告げた。

おふたりはこのビルで開催中のレース編みや刺繍の展示会にいらしていて



その後近くのカフェで歓談しておられるところに

「ただいま伊東屋通過❣️」
という勢いのけいあゆが闖入した格好だ。

三人で倍速くらいのお喋りをして一時間の逢瀬を終えた。

おふたりには
闖入者を歓迎していただき

みずほさん作の半衿と帯留を直にご披露出来て

よかった。



ご主人と待ち合わせのみずほさんを残し
息子さんとの待ち合わせに向かわれる香久子さんを見送り
私はひとり銀座三越へ。

日頃慣れた新宿伊勢丹に
途中下車する選択肢もあるのに

其処に立ち寄ろうと思うほど
カラダも気持ちも上向きだったのだろう。


三越のデパ地下に降り立ち
まずはダロワイヨでパンと惣菜を買い、
イトーでローストビーフのスライスを購入、
それからお菓子を物色して
菓匠花見と出会ったのだった。



うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ

昨夜のごはんは
そのデパ地下購入品を並べただけ。

ダロワイヨのホタテのテリーヌ。



ローストビーフにはスライスした新玉ねぎをたっぷり添えて。



レモン酎ハイまでいただいた。



〆はダロワイヨのパン。



食べている途中で思い立ってドライフルーツを添えてみた。

食べかけでお見苦しいが
これがもう一個食べたくなるほど美味だった。





また買いに行こう。



そして今朝は

朝メシ前シゴトで


新玉ねぎとパプリカをグリル、

詰みたてのローズマリーとたっぷりかけたオリーブ油がポイント。



ベーコン、セロリと新玉ねぎをスープに仕立てておいた。


それらは全てけいあゆのランチに。


スープにはトマトをプラスして

たっぷりのチーズをトッピング。





シンプルなのに美味しいスープになった。



野菜のグリルはワンディッシュの一品に。


ローストビーフはアボカドやカテッジチーズと合わせて醤油ベースの自家製ドレッシングで。


セロリの先っぽはダロワイヨのタラモを付けていただく。






こんなランチを楽しめるほど

不調を脱したけいあゆ、


どうやら娘も不調で

医師に診てもらい

気候変化への不適応やシゴトのし過ぎによる過労を示唆されたらしい。





けいあゆには

シゴトによる過労はないが

朝まで本に耽るような真似は

避けねばと思った次第である。



うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ


そんなけいあゆ、

昨夜は珍しくリアルタイムで

ドラマ『光る君へ』を見た。


伊周隆家の兄弟が花山院への謀反のかどで

流罪となる長徳の変が主軸だったが


そんな歴史的な出来事を踏まえてのドラマ展開に

あれっ?と思うことがあって


それは隆家くんの配流(はいる)先が"出雲"とされたことだった。


ずいぶん前に読んだ『栄花物語』の一節では

確かその配流先は"但馬"だったような…


そんな釈然としない気持ちは

改めて『栄花物語』などの文献を読み返してみて腑に落ちた。


隆家くんは配流先の出雲へ向かう途次

病気を理由に但馬に留まったのだった。


但馬は

大学進学後お世話になったご夫妻の出身地で

退職後其処に帰られて亡くなられたので

未踏ながら意識に上る国名として記憶されたのだった。





さて記憶の中の隆家くんは


さがな者(荒くれ者)で

文化的レベルの高い中の関白家の中ではちょっと異質な存在、

長徳の変で

実際に院の袖を射抜いたのも彼、

院の配下との闘争で

院に付き随う童子ふたりを殺害し首を持ち帰ったのも彼の配下の者たちだった。



一方で私には

『枕草子』に頻繁に登場する隆家くんのちゃめっ気も忘れ難い。


彼は中宮様の元にやってきて

見事な扇の骨を手に入れたと自慢する。


それはあまりに素晴らしくて

紙を貼って(中宮様に)差し上げようと思うものの

並ひととおりの紙では相応しくないので

探している最中なのだという。


興味を持たれた中宮様が

どんな骨がと尋ねられると


「『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す」

(「『全くこれまで見たことのない骨の様子だ』と人々が申します」)


と得意満面の隆家。


其処で清少納言が


「さては、扇のにはあらで海月のななり」

(それならば(その骨は)扇の骨ではなくてクラゲの骨であるようだ。)


と口にする。

誰も見たことのない骨ならば、さしずめクラゲの骨なのだろうと茶化したのである。


茶化された隆家は言う。


「これ隆家が言(こと)にしてむ」

(これは隆家が言った言葉にしてしまおう)


それほど清少納言の当意即妙の機知に感心したというのである。



なかなかお茶目なヤツではないか?

少なくとも

自慢の鼻を軽くへし折られて

ムキになるような無粋なヤツではなかったということだ。



さてその隆家くん

自ら引き起こしたとも言える長徳の変の後

不遇のうちに世を去った姉や兄の亡き後も

長く生きて

道長政権下で存在感を発揮することになるのだが


それについてドラマでは

安倍晴明がサラリと予言して

上手い伏線が張られたようだ。


それについては

小説家葉室麟が作品にものしている。






とはいえむしろ私には

自ら求めて

太宰の権帥(ごんのそち)になって筑紫に赴いたこと

が興味深い。


其処は古くは菅原道真が流されて憤死し

かつて兄伊周も

強いられた配流先である。


そんな太宰府に

隆家くんが進んで赴いたのは

眼病治療のため

当時其処に唐人の眼病治療の名医がいたらしい。


それが結局

葉室麟が小説に取り上げた刀伊の侵攻を防ぐ快挙に繋がったのだった。


筑紫に下ったのは

既に宮廷に返り咲いて

支持する者も少なくなかった時期だが、


彼には政治権力より"目"だった。


なかなかさっぱりしていてわかりやすいヤツである。



ドラマに触発されて

読み返したい文献も多々あるが

今はまだカラダが大事。



私もさっぱりわかりやすい選択をした方がよさそうだ。