"春のいそぎ"は

古文では
"春"は新年、"いそぎ"は準備、
つまり新年の準備をいう。

『徒然草』では
「折節の移り変はるこそもの毎にあはれなれ」として
年末の行事と重ねて新年の準備が行われるさまが
風物詩の如くイキイキと描かれている。


"春のいそぎ"、
それはまた
伊東静雄の詩集の名でもあり

立原正秋の小説の名でもある。


もちろん
その「春」の表さんとするところは違う。

昭和18年の伊東の「大東亜の春」を待つこころは
今の私には受け入れ難いし、

立原の、鎌倉を舞台にした静かなエロチシズムからは絹三枚ほど隔てたところにいるが、

大学時代読んだそれらは
共に"美しい"作品として記憶に残る。




それはさておき、
現代の季語としては
"春のいそぎ"は
の終わりに近づく春を待つこころをいう。

ちょうど立春前の、冬と春が交錯する頃、
今より少し早い季節だが、


遅ればせながら
そんな気持ちで
猫柳と一緒に春支度を愉しむ。

まずは半衿付けから。




苦手な縫い物だが

春待ち着物を愉しみたい一心で
猫柳の半衿を縫う。




伝統の手刺繍とはまた違った趣きの

モダンな半衿は

枝花を描いた濃い色の長襦袢によく似合う。




塩瀬の半衿と2枚重ねで

ふっくらと温かな衿元を目指す。


さてどんな着物に合わせよう、

ワクワクしながらチクチクチクチク…





そんな静かな日曜日。




猫柳は三月〜四月の風物。

春のいそぎにはぴったりの意匠だ。


それは

万葉の昔は"川楊(かわやなぎ)"と呼ばれ

猫柳という名を得たのは明治になってからという。


いずれにせよ

長く日本人の春待つこころに呼応してきたようだ。


 



母の遺した帯にも

猫柳を描いた染め帯があって


ちょうど今ごろ、

小さな白梅の帯留と合わせて装ったりする。





帯地は苦手なピンクだが


似合うピンクも少なからずあるし

長いおしゃれ歴から

なんとか似合わせることもできる。





猫柳の帯留も

ある時手に入れて

大切に愛用している。


五福香菜子さんの陶芸作品。


いつのまにか幾つかのコレクションになったが

これがその端緒。





ひなやさんの組紐の帯に合わせてみたり





白椿の帯に合わせてみたり




水仙のちりめん染め帯にも合わせてみたりした。、



秋色の着物や帯と思うものも

帯留一つで春待つ頃合いのコーディネートに。




今年はどんな着物や帯に合わせようかな、

と思い巡らす。


猫柳と遊びながら春待つ日々も

ワルクナイ。



半衿付けをなんとか終えて

ホッとひと息。




カフェオレをボウルいっぱい、


ホワイトの生チョコは

セブンイレブンで見つけたもの。

近年のコンビニスイーツにもなかなかいいものがある。





萩の岡田窯の器でいただくカフェオレはまた格別の味わい。




のんびり静かなフツーの日曜日である。




ランチは

地味だが滋味豊かな和食で。


セロリと春菊と牛肉の炒め物、焼肉のタレ味。



さつま揚げとしめじの旨煮。



蕪の甘酢漬けと蜂蜜梅干し。



ご飯は雑穀米。




🇮🇹 から 🇨🇳 、そして🇯🇵へと

退屈のないけいあゆごはんが続いている。



出かける予定はないが

うららかな日差しに

春色のセーターを着た。


お高いモノではないが

同じ意匠の黒、ダークグレー、ベージュ、

そしてミントグリーンを持っているほどのお気に入り。




 



本日の肌年齢は…

なんとか四十代を維持できている。





明け方ギブスをはめたように硬直して動かず

床の中で動かすと痛みが走った脚も


ウソのように今は平穏、


動けば動くほど好調な脚に

おウチリハビリ

やる気満々のけいあゆである。