こんにちは。
啓projectです。
先日、午前中空いていたので、
福岡市東区にある名島神社へ行ってきました。
ここも神功皇后ゆかりの地であり、
伝説を物語るものも周りにあります。
香椎の方にはよく行きますが、
ここにこんな神社があるとは知らなくて
ぜひ行ってみたいと思っていました。
ではさっそく。
木の鳥居です!
そして周りの新緑が美しかったです。
この後ろ側に石の鳥居もあるのですが
車が停められていたので今回はナシで。。
階段を登ると本殿が見えます。
そして左側に少し見えていますが、
魚の形をしています。
海が目の前ということもあると思います。
これが置かれているので、狛犬はないようです。
こういう他にないものっていいですよね!
御祭神は、宗像三女神
御由緒を書かせてもらうと、
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宗像三女神は天照大神の御子であらせられ、
神功皇后御崇敬し給う。
神功皇后三韓御遠征の時、香椎の西なる黒津(黒崎)の
岬より御乗船し給う。
このとき諸軍勢各々その郷名姓名等を名乗りて
御船に集る。
その処を名付けて名嶋と云い、この時この地より
宗像三女神を拝し、海路の平穏を祈願し給う。
神功皇后、新羅より帰らせ給うたとき、
黒津に上らせ給い、
宗像三女神を勧請して祠を建て祭り崇め給う。
これが名島神社の起源である。
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神功皇后が三韓遠征される際に
海路の平穏を祈願したとされる地。
そして、各々が名乗りを上げた地であるため
「名島」となった。
(名島の起源は諸説あります)
真正面から撮ると反射してして自分が写ってしまうため
少し斜めから撮っていますw
最近は御由緒などに興味があり、
御利益などはあまり見てなかったり。。
宗像三女神ということで交通安全ですよね。
(元は海路の安全)
他にも敷地内に稲荷神社などもあります。
参拝後、さらに上に登ると公園(広場)があります。
ここは、名島城址。
歴史にはあまり詳しくないのですが、
名島城は豊臣秀吉による九州平定後、
小早川隆景が築城を開始した城郭だそうです。
ちなみに毛利元就の三男ということです。
三本の矢にお話に出てくる人らしい。
(このあたりの歴史はわかりませんw)
そして、神社を出て海側へ行きます。
神功皇后の伝説が残るものを見るために。
まずは帆柱石!
これは何かというと、
神功皇后が三韓出兵に使用した船の帆柱が
化石になったという言い伝えがあります。
気になりますよね!
最初、この左の大きい石かと思いまいましたが、
これは違います(笑)
たしかに帆柱ではなさそうw
もう少しだけ先に行ったところにあります。
この鎖で仕切られた中にある、
茶色い輪切りにされたようなもの。
これが帆柱石です。
なんかすごいですよね!
伝説にふれるかんじがします。
でも実際はこう書かれています。
抜粋して書かせてもらうと、
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9個の円柱状石は、
古第三紀漸新世前期(3500万年前)に堆積した
志免層群名島層の砂岩、礫岩層中に含まれる
珪化木とよばれる樹木の化石です。
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そうなんです。
神功皇后の時代よりもっと古いものでした。
でもこれを見ると柱のようにも見えて
神功皇后伝説と結び付けたくなる気持ちも
わかりますよねw
この石は、国の天然記念物に指定されているそうです!
すごい!
その割には鎖で区切られているだけでしたが。。
神功皇后ゆかりのものがもう1つあるんです。
それは「縁の石」
三韓出兵から戻ってきた神功皇后。
ご懐妊なされていた神功皇后が
腰を下ろして休まれたとされている石です。
このときおなかにいたのが
応神天皇です。
おなかにいるときから天皇になることが
決まっていたので胎中天皇とも呼ばれます。
また、応神天皇は今では八幡神と同一とされています。
この石は、婦人が寄り添って祈れば安産になり、
また縁遠き子女が祈れば良縁にめぐり合うとも
いわれているそうです。
すごいなあ!
真偽はわかりませんが
こうやって伝説として残っていることがすごいです。
今回もとてもワクワクしました!
ぼくもあまり知りませんでしたが、
もっと知られていい場所だと思いました!
九州には神功皇后ゆかりの地がたくさんあります。
神功皇后にはなぜか魅かれてしまいます。
今回ももっとたくさん書きたかったですが
長くなってきたのでこのへんで(笑)
ゆかりの地をまた見に行こうと思います。
それでは!
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