今日の神戸は、今のところ晴れなんですが、
夕方から久しぶりの雨が降るみたいです!
ところで、もうすぐバレンタインですね!
お茶の老舗、「宇治園」の抹茶チョコと、ほうじ茶チョコ、
おいしかったですよ~~
生チョコなんで、常温保存ができないのですが。
それでは、今日のおべんきょ~~コーナーで~~す!
やっと単位認定試験の見直ししたんですが、
この教科は、次回も同じ内容は、出さないと思います。
*これは、あくまで私の解答ですので、間違っている場合もあると思います。あくまで参考程度にされ、ご自身でご確認、よろしくお願い致します!
問1.惑星の認識について述べた①~⑤の文の中から間違っているものを一つ選んで番号を答え、間違っている理由を30字以内で簡潔に述べなさい。
① 人間は古くから5惑星を天球上の運動から認識していたが、それらは地上の現象とも直接関係するものととらえられていた。
② 古代の諸民族は惑星にそれぞれの性格を与えたが、それは主にその見かけや運動から想像されたところが大きい。
③ 天王星の発見は偶然だったが、それまで太陽系の惑星は古代から5惑星+地球の6惑星だけと思われていたため、ヨーロッパ社会に衝撃を与えた。
④ 天王星の発見後ただちに、その外側をまわる海王星が発見された。
⑤ 冥王星の発見は、天体力学の予言の結果というよりも、偶然と写真観測の応用によるところが大きい。
<答>④、天王星発見後65年後に、ガレにより海王星が発見された。
P.15、天王星の発見後、その摂動から、未知の惑星が存在すると考えられるようになった。フランスではルヴェリエが予想軌道を算出し、ベルリン天文台のガレが望遠鏡で探し、計算した位置や大きさの第8番目の惑星、海王星が1846年9月23日に発見した。一方イギリスでは、アダムズが予想軌道を算出し、ジェームズ・チャリスに報告した。チャリスはあまり気の進まないまま、1846年7月から探索をはじめ、アダムズの予測位置付近の星の位置の記録を始めた。そしてガレの海王星発見の後、実はその1ヶ月前にチャリスは2度海王星を観測していたが、新惑星であることを見落としていたことがあきらかになった。このため、アダムズとルヴェリエは発見者は誰かという事で揉めたが、アダムズはルヴェリエに発見者の座を譲った。現在では2人とも発見者の扱いとなっている。
①P.10、○。太陽の圧倒的な輝きと変化は、人間にそれと合わせた生活のリズムをとらせ、月の位相変化も生活の指針になった。
②P.11、○。古代の人々は、惑星に名前と性格を持つ神として信仰したとあるが、見かけの運動から想像されたところが大きいとの記載はない。しかし、熱心に観察した結果であるのだから、おそらく、自分たちの見分けやすい身近なものに例えたり、想像をたくましくしたものと思われる。
③P.15、○。1781年、反射望遠鏡を作って熱心に彗星を探していたウイリアム・ハーシェルが、偶然に天王星を発見した。はじめての惑星の発見にヨーロッパは大騒ぎになった。
⑤P.16、○。ローウェルが第9番惑星の位置を計算したが見つけられず、1930年、弟子のトンボーが写真による観測で発見した。