新型コロナウイルスが僕らの日常にとても大きな影響を与えてます。
僕は状況が変わっていく中でコロナに関して何かを書く、発言するということを避けてきました。
大変だよね、って言葉が浮かぶこと以外自分が直接何かできるわけではないし、
そこまで考えられてるわけではないし、
前提としてこの波を受けて乗りながらさてどうする?ってことを考えるしかなくて。
もちろん現状含め未だ決定的な解決策の見つかっていないものに対して一個人が抗う術もない。
自粛しろと言われたら素直に自粛するしかないし。
無理に今何かやらなければということは感じなかった。
むしろこんな状況になって今まで考えてなかったことを急に考えたりすることがどこかずるく思えてしまう自分がいたりもした。
矛盾するようだけど、発信者として日々何かを模索し生み出そうとしてる中、
無理にでも何かを止めるとか身動きとれなくするってことも普段ないわけで、
余計なジタバタより一回ちゃんと止まってみるってことも必要なのかなとも思ったりした。
そうしてる中結果溢れてくる考えや感情はピュアなものだし、改めて答え合わせをするのも良い。
大事なライブの時もそうなんだけど、この数年間の自分は無理に何も考えないということを意図的にやってます。
年齢を重ねるとどうもピュアじゃない。
エゴや世間体や見栄や経験や、いろんなものが混ざって屈折しやすい。
音楽活動というものは誰の責任にできるものじゃなくどこまでも自分の責任以外の何物でもないので、
本当の自分の声や感情とちゃんと向き合ってなくてはなりません。
案外それが難しい。
自分の中の本物の発信でなければ誰にも届きません。
最近配信で過去作品を振り返りつつトークしてるんですが、改めてそのことを過去の自分達から思い知らされる。
例えば思い出が美化するということがある。
でも何かに夢中であったり何かを犠牲にしてでも過ごした時間だからそれは思い出になる。
ただ過ごした日々は思い出せない。
そして音にも熱量がある。
楽器は音を鳴らせば音が出るけどそこに想いが加われば特別な音色になる。
結局僕にとって良い音楽というのは理論理屈じゃなく人であり想いであり時間なのだとつくづく感じております。
これまた矛盾するようですが、
この期間いくつか曲を書いてました。
歌詞はいつも苦戦するのだけど、今回全く詞にならないのです。
何に向かって書けばよいのか、それが見つからない。
安易に頑張れとか大丈夫さとか言う気にはなれない。
曲が体であるならば、
詞は心なのだと思いました。
テーマや伝えたいこと、それが言葉にできなければ楽曲は呼吸しないのです。
緊急事態宣言が解除となり、明らかな変化を感じつつ。
でもまだまだ不透明な未来に対して提示したい言葉が僕にはまだ書けずにいます。
小さな歌なら歌えるのかもしれない。
でもなんだろう、やっぱりどこか無責任な感じがしてしまうのですよね。
僕の変に神経質でネガティブなとこ。
世の中に明るさが戻るとともに声にしたい言葉が増えていくことを今望んでいます。
久々にブログ書こうと思ったのは、そうやってなるべく自然に生活をして過ごして、
その中で自分なりに感じたことがあるので、
まとまらないだろうし矛盾したり意味わからなかったりも含めて一旦現状をそのまま言葉にしたいなと考えてのことです。
この期間僕がアーティストとして表向き定期的に行ったことと言えばGLASS TOPの配信くらい。
去年の4月から一年間GLASS TOPとして毎月最新曲を配信してきて、ちょうどこれからはその楽曲を活かした配信での生ライブなどを計画してる時でした。
自粛期間になりアーティストも一気に配信での発信が主流になった。
正直な気持ち。
この流れで僕らも配信するということは世の風潮に乗っかってる感じにしか見えないのではないかと、なんとなくそのことは嫌だなって。
とても小さくて言うのも恥ずかしい小ささなんだけど、単純に最初そう思ったんです。
基本的に家だしリモートだしっていう状況で、
配信で音楽するというのは難しく、基本会話をするというスタンス。
多少なり僕らのそれを喜んでくれる方もいるかもしれないけど、僕個人としてはGLASS TOPって音楽やってはじめて勝負できるラインに乗っかってると思っていて。
僕らのトークレベルでみんな聞いてよってとてもおこがましく思えてしまう。
YouTube生配信というものもゲストが参加してくれてる時はまだお陰様で空気が作れるけど、二人がトークすることって一体どれだけの人が興味あんのかよって。
無理に番組っぽくとかキャラを作ってとかも考えはするけどそもそも本末転倒な気がするし。
ただの個人的な言い訳だけど配信でトークするということ、どうも難しく感じてました。今もです。
誤解なきよう、僕はやっていてとても楽しいし、そこでいろいろ話したいんですよ。
俯瞰で見た時の自分たちのタレント性を考えた時にあまりうまい力の伝わり方がしてない気がするという話。
上でも書いた通り、違和感がある限り果たして本当の発信なのだろうかと。
勘違いでも発信したいと言えるものが正解であると考えるので、んー、それって僕らにとってトークなのかな?って。
そういう意味で言えば憲治は個人的にもよく配信してるみたいなので本当の発信なんでしょうね。
ただね、一つちゃんと言えるのはやはり何か一大事が起こると自分の大切なもの、僕にとってGLASS TOPや応援してくれてる方、
それを守りたいという気持ちが何か行動をという気にさせるもので。
僕がここで言いたかったのは愚痴や言い訳ではなく、今いろんな可能性が増えてる中でそれに飛び込まなきゃいけないタイミングがあって、
時間も待ってはくれなくて、
やってみなきゃ分からないってことが今後も増えていくのかなと思ったのです。
それを今回配信などを通じて感じているという話。
なんだろう、もっと無責任に、やってみたら楽しかった、効果あったってことがあるんだろうなって。
発信の仕方や成功の形ってものが日に日にすごいスピードで変わっていっていて、それに伴って新しいサービスもどんどん生まれてて。
これからはどのツールを選んでそのツールを活かしてってことが結果として大事になってくるのかもしれない。
特に僕らの身近なところでライブという概念が今後大きく変わっていくと思うから、当たり前のように今までと違った価値観や活動が求められていくんだろうなと。
東日本大震災の時もエンターテインメントについていろいろ考えたけど、あの時はいろんな意味で復興がテーマだった。
形をもとに戻そうという流れが強かった。
でも今回は違う。
本当はその時にもっと深く考えなければいけなかったけど、今後は明らかに僕らの環境は変わるでしょう。
良いもの悪いもの含め価値観を見直す機会となった。
いろんなものが淘汰されていくはずだし、実はそのことは健全であるとも言える。
繰り返すけどじっとしていたら置いていかれるスピードで状況は変化していくでしょう。
そんな中で自分としては例えばこのブログのこととかも考えるわけです。
配信のことも同じ。
ぶっちゃけオフィシャルと言えるほどの影響力が僕自身に、このブログにあるわけではない。
一部の人に届いているものと自覚しております。
それでもこのような立場でブログを頂いたことは純粋にやりがいだし今後も発信していく。
同時に発信する内容の差別化が今後あって良いのではないかと考えてます。
僕はブログ書きだすとだらだらと長くて暑苦しい文章になってしまう。
これは自分の個性だとも自負しております。
この個性を誰でも覗ける場所に置いておくことに数年前から違和感を感じていました。
僕にそれほど興味のない人には見られたくない部分であったりする。
逆に言えば近いところで応援してくれる人にはもっとさらけ出したい感情や想いがある。
こういうオフィシャルブログ、YouTube配信、誰でも覗けるものは誰にでも興味をもってもらえるようなものにしたい。
良い意味で浅く広く僕を知っていただけるように、そのようなツールとして活かしたい。
これまで僕ができていない部分だと思います。
半面、まだやり方は決めていないけれど、
窓口を作る、有料化にするなど線引きをして本当に興味のある方だけに届けられる情報がある場所も作りたいなと思う。
その場所ではある程度甘えさせてもらって、等身大の自分であったり、本音の本音であったり、
blogもこれまで書いてきたような内容はそちらに載せるとか、
そのようなことを考えてます。
ちなみにこれはGLASS TOPでというより個人でやっていくという話で検討してる。
YouTubeの配信も今後続けていこうと思ってるけど、例えば最近これまでのアルバムについて深堀のトークをしてる。
だらだらと、でも楽しく2時間ほどになる。
他人に何と言われようが僕らにとってはとても価値のあるエピソードが多く含んでます。
でも世間一般で考えたらそこまで知名度のない僕らの勝手なエピソードってことになる。
それを覗く覗かないは置いといて誰でも覗いてくださいと発信する。
知らない人から見たら良く知らんやつが一丁前な顔でエピソードを話してる。
僕が知らなくて見る側だったら‘知らねーよ’ってだけの価値に感じる。
でも僕らにとったらとても価値があるんだよ。
人生かけて作ったエピソードだから。
だからそれを無法地帯に放るようなことってなんか違う気がするというか、
必要としてくれる人に本気で伝えられたらもっと良いなって。
自分達でそのような発信をしておいて勝手に違和感を感じてのただ情けない話なんだけど、
どうもそこが引っかかってて。
やりながら他人の顔色伺ってたりとか。
本当に聴きたい人しかいませんって基準が自覚できていたらもっとコアに話したいこともある。
無法地帯にしてると与えたい情報と受け取りたい情報の温度差が出てしまうのかなと。
一見様への提供が自分が下手だなーってこと。ツールを活かしきれてない気がすること。
あとはなんだろ、自分達を切り売りするようにはしたくないという気持ちもあったり。
だったらやるなよって言われたらそれまでだけど、、
やりたいけどもっとうまくやりたいってことなんです。
ちなみにこのシリーズは始めたことですしすべてのアルバムエピソードを同じ形でやっていきます。
こういう活動で得た経験から次の展開で活かしていきたいということを考えてるということで。
僕らも活動の仕方、サービスの提供の仕方などこういう時期を教訓に改め良くしていかなきゃならない。
変化があるときは理解が必要になることがある。
今だったらSYNC PAY(投げ銭)を頂く度にどうやってお返しができるだろうかとその都度感謝と緊張感が増える。
自分自身本気の想いをいかに生めて、それをどう届けられるか、
その良い方法を一番今考えてるとこです。
世間が早く通常通りになればと思いますが、きっとライブハウスに関しては当面通常通りとはならないでしょう。
関係者やアーティスト、潰れたものもいっぱいあるし、継続するにもみなほんと大変です。
きっといろんなことが変わります。
惰性だったものが無くなる、厳しいようだけどそういう目で見てもらって良いと思います。
そんな中で少しでもあなたの心の中に必要な音楽があるならば、必要な場所があるならば、必要な人がいるならば、
この変化を見届けてほしいです。
理解できるところを応援してほしい。
僕個人としては恥ずかしい話ちょっと前までそんなにライブをしたいと思えてない期間がありました。
今はライブしたいですね。
パーティーでも良い。
ライブというより、
人と話がしたいのかもしれない。
会話するような、そんなライブが今したいです。
そして小林佳の歌が、GLASS TOPの音楽がこんなにも素晴らしかったんだと改めて思い知らせたいという生意気な衝動があります。
どんな形で提案できるでしょう!?
一度現状報告ということで。
んー、うまく書けなかったな。。言いたいこと、うまく伝えれてないわ。。
未熟者!!
まだまだ安心できない世の中なのでくれぐれも皆さんお体に気を付けて。
気持ちをなるべく軽くして。
隣の人の気持ちを労わって。
今という状況を受け止めて共に日々を過ごしましょう。