セルフライナーノーツ第四弾は「求道者にエンドロールは流れない」。

 

この曲に関してまず、

タイトル、自分にしては長めです!

 

特に意識してるわけではないのだけど、

これまで自分の曲のタイトルって短いものが多いですね。

回りくどいのがあまり好きではないことはある。

あとなんとなく長いタイトルって奇をてらってるような感じがして、

そういうの否定するつもりはないけど自分がやろうとは思わない、みたいな。

 

なので、

この曲は自分の中で珍しくてタイトルを言いたくなる(笑)

 

この曲は完璧にモチーフ、テーマがあって書きました。

ズバリ!

イチローです。

昨年の東京ドームでのイチロー引退の姿を見てそこで感じたものを歌にしたいと思いました。

 

 

イチロー。

 

ぶっちゃけこの選手を越える日本人ってもう出てこないでしょ。

想像がつかない。

スーパースター中のトップオブトップ。

その伝説が昨年幕を下ろした。

もちろんすべてには終わりがあるのでいつかは来ることなんだけど、

実感もないままTVで最後の2試合観ておりました。

 

とにかく、

感動的な光景だった。

現役中黙々と淡々と仕事をこなすイメージがあったイチロー。

周りが緊張してしまうような、

孤高というイメージがぴったりだった。

そんな彼の最後はとても人間味に溢れていて愛に溢れてた。

そのギャップがとても印象的でしたねー。

ずっとイチローがみんなに夢を与え続けてきたから起こった、

彼への感謝の渦にイチローもびっくりしてるように見えました。

 

試合を観てる全員が「イチロー打てー!」って同じ思いで見つめていて。

現代いろんな情報が手に入り注意散漫な時代に、

僕は良く知らないけど昭和の時代にタイムスリップしたような、

昔はこうやって家族が町が日本が、一つのことに夢中になったりしてたのかなって想像した。

 

最後の打席の内野ゴロ、

一塁に向かってイチローは最後の最後まで全力疾走だった。

その姿がとても焼き付いた。

その時に思ったのですよ。

この人はスーパースターというよりも‘求道者’だと。

実際有名な話で同じ練習やルーティーンをずっと繰り返すっていう話もありましたね。

結果が彼を一方的にスターという枠にはめていったけども、

本人の中では世間のイメージなんかどうでも良くて、

ひたすらに野球という道をただただ極めたいと、

それだけ思っていたんじゃないかって。

最後の全力疾走の姿から感じたんです。

 

映画やドラマを盛り上げるために、余韻を印象的にするためにエンドロールが流れる。

作品の紹介や関わった人への感謝でもある。

イチローの最後はどうだったかな。

イチローという物語において、僕にはエンドロールは流れてなかった。

イチロー本人がそんな感傷的なものを望んでいるように思えなかった。

最後の最後までその物語に当たり前にいようとしているように感じたし、

終わらせようという風には見えなかった。

言うなれば肩書に線を引いたって感じ。

プロ野球選手という肩書は下ろすけどもきっとこの人はさらに野球というものに触れ愛していくんだろうなと。

 

求道者にとって結局終わりなどないのだろうなって。

僕にとったらそれが音楽かもしれない。

一般的には人を愛することかもしれない。

道を求めると言えるほどのものを持てたならそれはとても素敵なこと。

そしてきっと求道者にエンドロールは流れないんじゃないかな。

他人が勝手に流すかもしれないよ。

だけど本人の中では流れない。

だって本人はいつでも今よりももっと先へと、そのことだけを考えているんだから。

イチローの最後の姿を見て、

自分もそんな風にあれたら幸せだなと感じました。

 

いつだって今の自分を越えていきたい、過去の自分に負けたくない、

そうありたい。

一歩先への繰り返し。

戦うべきは自分自身。

 

 

この曲のジャケット。

まさにそんなイメージにぴったりの絵が描かれていて驚いたのも覚えてます。

 

あ、そうそう。

この曲からなぜかロック憲治が目覚めてるんだよね。

当面ライブはやらずに配信でっていうのは憲治からスタートした案だったから、

自分としてはライブっぽい曲は作らずにいくんだろうなって勝手に思ってた。

すんげーかっこいい曲書いてどうすんの?って。

(この曲の作曲は憲治)

 

曲届いて、なんかどの方向性に向かいたいのか分からなかったから憲治に電話して尋ねたのですよ。

その時の憲治の言葉が一生深いっすね。

 

「原点に戻りたい」

 

??

 

長代の名言?迷言?

です(笑)