2019年となりました。

 

今年からGLASS TOPは所属してきた事務所を離れ、独立した形で活動していきます。

 

まず初めに、

このアメーバオフィシャルブログに関して。

僕らはオフィシャルという形でこのアメーバブログをやらせてもらってる。

これはお世話になってきた事務所CACUUから頂いたものです。

本来なら事務所を離れると同時に事務所あっての形式というものは無くなります。

ありがたいことに、僕らは基本的に必要なものは持っていって良いと言われました。

もちろん何でもそのままにというわけにはいかない。

ベースとしては一新してという気持ちです。

ただこのアメーバオフィシャルブログに関しては一番想いを残せる場所、届けられる媒体だと感じているので、

継続してオフィシャルという形でやれせてもらえるよう甘えさせてもらいました。

今後も感謝を持ちつつ言葉を残せたらと思います。

そしてこれを読んでもらってる際、少しでも読んでもらってる方にも同じような気持ちを共有してもらえたらなお幸いです。

 


独立してからのこれから。

活動の在り方やり方など変わることいろいろあると思う。

例えば、

これまでの活動に加え、今年からは他ミュージシャンへの曲提供なども僕らの活動の一部として積極的にやっていこうと考えてます。

〝良い音楽を残していくこと〟

根底にある一番の願いです。

これまでと違った形で僕らの音楽が発信されることも増えると思うのでそちらもぜひ楽しみにしていてほしい。

 


年末年始、

久々に長い時間ゆっくりと過ごした。

年末の事務所卒業ライブで気持ちも使い果たし、

ワンマンの時同様終わった後はその余韻をありのままに感じようと。

そのためにも良い時間だった。

 

振り返って、

卒業イベントの際MUSIQUAがライブの最初に「writ in water」を、そして最後に「讃歌」をカバーしてくれて、

MUSIQUAやCACUUがそのようなメッセージがあったかは分かれないけど気付かせてもらったことがある。

僕にとってGLASS TOPで最も思い入れのある曲が「writ in water」。

そんなにライブではやってこなかったし、一番最初のアルバムの曲だし、そんなに認知されてる曲ではないと思うけど、

僕にとってずっとそうだった。

かなり昔、CACUU代表の内藤さんに車の中で「writ in water」を越える曲が生まれない、

それが書けるまで曲を書き続けたい、

と言ったのを覚えてる。

随分と時は流れ、一つ前のアルバムになるけど「讃歌」という曲が生まれた。

「讃歌」という曲は自分にとって活動から得たもので生み出せた曲だと感じてる。

MUSIQUAが演奏してくれてるのを聴きながら、客観的に自分たちの曲を聴きながら、

正直「讃歌」は「writ in water」をある意味で越えたんだと感じた。

語弊の無きよう、このことは名曲だとか自画自賛だとかそういった話じゃない。

曲作りの工程の話で作品として提示する時の発信の仕方の話。

「writ in water」は自分自身に向いてるけど、

「讃歌」はあなたに向いてるという話。

僕はそれをCACUUという場所でずっと教わってきて一つの線を跨げたのかなという想いが少し時間経ってふと思った。

CACUUという場所にいたから跨げた線。

そう考えたらタイミングとして僕らが独立という選択を選んだのもここがそうだったのかなって、改めて。

寂しさという感情よりも納得や意欲の方が増えていった。

本当に最後の最後まで音楽を通してメッセージを残してくれたこと、

背中を押してくれたこと、

MUSIQUA、そしてCACUUには感謝ですね。

 

「writ in water」で、 

‘僕らはまだ未熟な少年 生きるという孤独な旅の果てに何かを信じている’

という冒頭の歌詞がある。

自分にとって、これ以上の歌詞は無いというか、

僕というミュージシャンの根底に常にある言葉だと思っていて。

僕自身の器なんて高々知れてるからこれ以上の何かがあるとも思っていなくて、

僕個人の一番のメッセージはきっと変わることはない。

これから求め続けることは、

‘何かを信じている’の‘何か’

それを確認していくことなんだろう。

そしてその‘何か’は時代と共に、人との出会いと共に変化していくものであると思う。

変化して良いんだと思う。

 

‘何か’を探す旅路で「讃歌」という確かなメッセージソングは生まれたのだろうし、

これから生むであろう楽曲にそのイズムの延長線に当たるものがあれたら嬉しい。

生きていく中できっと思い通りにいかないことの方が多いわけで、

でもそれに立ち向かいながら、

仲間に励まされながら、

愛すべき人に支えられながら、

自分なりの道がある。

その道の上にある確かなことをきちんと言えるようにしていたい。

改めてそんな風に思う。

 


年末年始にはTVから音楽がたくさん流れててぼんやりと眺めたり、

その中で素晴らしいアーティストにくぎ付けになったり。

音楽って何なんだろうって考えたりした。

自分の卒業イベントなども踏まえこの年末年始に感じてたことは、

音楽の価値はどれだけ人々の想いを重ねてもらえるか、

そこがやっぱり一番であるように思う。

サザンやユーミンのライブはまさにそれで、たくさんの人々の時代や想いを受け入れて返しているように見える。

この‘受け入れる’ってところが素晴らしい。

方や旬の米津玄師や圧倒的歌唱力のMISIAなどからはひたすらに音楽の強さを思い知らされた。

矛盾するようだけど、余計なこと通り越して音楽の強さ‘だけ’になるというところも素晴らしい。

 

アーティストたるものはいろんな感情を包み込める存在でなくちゃいけない。

と、同時にそんなの関係ないほどに楽曲とパフォーマンスだけで圧倒、説得できたら良い。

まるで対極な要素を円にして描けたなら、

それは僕らが目指すべきあり方でしょう。

 

幸いGLASS TOPは二人でやっていて、

二人の対極な個性や考え方でアーティストたる部分が成り立ってるように感じる。

直線で結ぼうとすると時にすれ違うベクトルも、

円のように結べば一つの僕らなりの形になる。

たとえそれが歪な形であってもそれをGLASS TOPと呼んでもらえたら良い。

今年の11月に僕らは15周年を迎える。

ここまでやってきたのだからどんな道のりであろうがその日を迎えられたらやはり嬉しい。

続けるためにやってきたわけじゃないけど、

続けてきたからこそ感じれるものがある。

そこにはきっと僕らなりに信じてきた‘何か’があるんだろうし、

少しでもそれを具体的に言えるように。表現できるように。

共有できるように。

 

 

残念ながら昨年の頭にこのブログで書いた抱負とは昨年は随分と違った結果で推移していった。

そこには悔しさや不甲斐なさしかない。

でもそれをいくら言い訳しても意味ないので、

その気持ちとは自分の中でしっかり格闘して、常にもう一歩先の光を見つけていきたい。

じゃなきゃ活動する意味がない。

今まではGLASS TOPの二人の間に誰かが入ってくれて、そのおかげでやって来れた部分も最近は特に多かったと思う。

独立するということはすべてのことを二人で考え決定し実行していくということ。

未知なる部分も含めてもっともっと積極的に自分達に期待していこうと思う。

 

 

最初に書いた通り、このオフィシャルブログがあることは本当にありがたいことで、

自分の想いを述べる場所があるのは光栄なこと。

熱くまっすぐに今年も残していきたい。

でもね、変な言い方だけどそんなに信用しないでね、とも思う。

そんなできた人間じゃないし、何よりまだまだ結果が足りない。

そんな自分を信用してとは自分からは言い難い。

良い意味でドライに評価していってほしい。

その中で引っかかるような結果を残していくことが僕らにとって良い活動だと思うので。

ただ僕は気持ちがないと行動にならないから、

自分を奮い立たす意味でもありのままの想いを伝えていきたいと思っています。

 

 

目標ってわけじゃないけど、

今年はより憲治と見つめあっていくことが一番大切になりますかね。

良い意味で信頼し闘い合うってことが二人ってものの価値をもっと大きくしていくことに繋がると思う。

憲治の才能を一番知ってるのは自分だと思うし、

僕の歌を一番好きな人が憲治であってほしい。

それが甘えでなく本当の意味でやり合えたら、また新しい先を切り開いていけるはず。

 

言うのは簡単。

証明していこう。

 

 

今年は新しい元号になるという歴史的な年でもあります。

僕らはそんな時代で今繋がってる。

運命だとか縁だとか、そんなロマンチックなものじゃなく、

ただの偶然であったとしてもその繋がりをただただ嬉しく感じる。

そしてその喜びを僕らなりの音楽で表現したいです。

 

『誰がために鐘は鳴る』

 

あなたが僕にとっての一部であるように。

僕もあなたの一部として感じてもらえるように。

 

音楽も日々も、

そこからスタートしていけたら。


今年もよろしくお願いいたします。