7月10日、渋谷CLUB QUATTROライブ終了。
まずはじめに、
時間を共にしてくれたみなさん、
どうもありがとう。
今回のライブ映像は近々VR商品としてご覧になってもらえる予定となってます。
来れなかった人も含めて楽しみにしていただけたらと。
前回のブログでも今回のライブは節目だと言いました。
なので自分なりに節目として感想をきちんと書いておきましょうね。
アルバム「-C-」は去年9月に発売した。
レコ発イベントが同月同じクアトロであった。
このアルバムは原点に立ち返りGLASS TOP二人で楽曲制作からレコーディングまでのほぼすべてをやった。
自主制作というやつ。
ここ数作品はメーカーさんにお世話になりながら作ってきてたので、自分としてはまず改めて自主制作をやるという意味を最初いろいろ考えた。
ポジティブな面、ネガティブな面どちらもあるから。
結果としてはポジティブな面を優先したいと思った。
実際世界的に見ても有名アーティスト含めてこれからの音楽シーンはどれだけ独立してやっていけるかが大事になってる。
CDという時代も終わり音楽人のビジネスモデルも大幅に変化している中、お金がいっぱいあって時間がたくさんあって人が多く動く、なんて当初の僕らの憧れはほぼ破綻してる。
そして自分らを俯瞰に見て、二十歳くらいの若いミュージシャンでもない僕らに先行投資や時間の猶予を与えてくるといううぬぼれはもうさすがに期待するのは厳しい。
そんな自分と周りの状況があった上でこれから僕らGLASS TOPが存続していける方法は僕ら自身で環境を作っていくしかない。
そしてそれに賛同してもらえるような努力というのが正しい。
必要なのは関係者というより協力者と言うべきだろう。
もっと言えば音楽だけじゃなくて、音楽は一つの手段になるようなモデルをGLASS TOPなりに作っていくことが今後の僕らの成功の形なんだと思ってる。(それがCCC)
少なくとも自分はそう思ってる。
そういう思いから僕ら二人だけで音楽を形にすることができるのはGLASS TOPの大きな強みだと思った。
さらに事務所の力が加わることで商品化にまで問題なくできるし、その状況も日に日に良くなっていってると思う。
だからアルバム「-C-」は最近の流れから一新して自分たちでできることを可能なまでやっていく方法を選んだ。
実際だからこそこの作品は新たなスタートラインに立ったということに一番の価値があるのかもしれない。
あれもこれも、少しでも多くの成功をどうしても欲してしまうので満たないものに目をやりがちになってしまうが、
今この文章を書きながらこれまでの経緯を改めて整理するとそんな風に思う。
新たな可能性の窓口を広げた、というのが今であって、その可能性をこれからさらにもっと実現していきたい。
二人だけの音楽、
二人でできる音楽、ライブ、
それがテーマとなって去年からGLASS TOPのステージは基本二人で行ってきた。
ずっとバンドスタイルでやってきたから正直自分としては感覚のずれ、気持ち悪さみたいなものがずっと拭えなかった。
けんじがやりたいことをやればやるほど、自分の理想とは離れていくような時もあった。
でもこの違和感こそが大事で、それを乗り越えて作りあげたものに新しい可能性があるんだと信じてやってた。
特にライブが難しかった。
一番に打ち込みのリズムと生ドラムとの違い。
ステージ上の構成と一緒で歌うときに縦の感覚横の感覚みたいなのがあって、歌う際自分には特に縦の感覚が重要。
縦こそドラムなんだけど、生ドラムだと自然とドラムが歌に寄り添ってくれたりテンションを上げてくれたりがあって、気持ちの良いドラマーとはそんなドラマーだったりする。
方や打ち込みにはそれがない。
無機質で一定であるがゆえの気持ちよさ。
揺れが無くなり間の使い方というのがどうもずっとしっくりこなかった。
度々けんじとも意見をぶつけ合いながら、どこかお互いのそもそも良しとしてる表現のラインが食い違ってるように感じることも多く。
なかなか平行線から抜け出せなかった。
今現在も100パーセント理解できてるかと言えばまだそこまでは達してないのかもしれないけど、最近、ほんとここ最近あまり気にならなくなってきてた。
先ほどの違和感の先という話だけど、そもそも今のGLASS TOPを言えば人間味ある歌とスタイリッシュなデジタルサウンドのコラボってことになるのかな。
(確かプロフィールとかにもそう書いてあった気がする)
つまりは水と油みたいな話。
たぶん自分はずっとガムシロップがちょうど混ぜ合わさったアイスコーヒーのようなものを想像してた。
人間同士としては僕とけんじは同調する間柄だったりするから。
でもきっと僕らのアーティストとしての可能性はちょっと違ってて、そもそも独立して並びあってる形が理想的なんだろう。
音や存在で時には対立してるくらいで良く、混ざらないものが重なることで新しさを生めるのかもしれない。
一番大事なことは相手の土俵を理解しようとすること。
自分の視点から相手を見るのではなく、相手の視点から自分を見る。
そうすればおのずと必要なものが見えてきて、それを実現するためのはっきりとした方向性を導ける。
そう思えたことで今のGLASS TOPの音楽の表現方法が遅ればせながらここにきてしっくり感じれるようになってきた。
話逸れるけど、この考え方こそまさにCCCでやりたいことで。
様々な文化を混ぜ合わせるというより衝突させる、
その化学反応で新しい感覚を得る。
今後しっかり実現していきたい。
この話はまた改めて。
一昨日のステージ、
アルバム「-C-」でライブやってきた中、パフォーマンスという意味では個人的に一番納得できた感じがあった。
パフォーマンスにはイメージが一番大切で、上に書いたようなことが事前にクリアしていけたことが大きい。
自然と楽しくできた、
っていうベタな言葉にしかならない気持ちでいれた。
冒頭に書いたことで、音楽を僕らの活動の手段に‘する’のと音楽が僕らの活動の手段に‘なる’では全く違う。
‘する’という行為には劣化が伴う。
あくまで僕らはミュージシャンで一番の武器は音楽しかないわけで、音楽の可能性が生み出した発想がCCCであったりするわけで、
僕らの灯はいつだって音楽そのものにある。
良い音楽を作ること表現することを繰り返すことで生まれるものが活動の動力。
活動のために音楽を利用するのではない。
僕らの音楽が新しい可能性を生み出すんだ。
それがたとえ今期待通りほどまだ広く認知されていなかったとしても、動力が働く限りは道の上にいることができる。
実はここ数か月今後の自分の音楽活動についてけっこう思い悩んでた。
7月10日のライブで結果が出なかったら今後のGLASS TOPの活動に関して一回考えようと思ってた。
じゃあその結果って何?
動員、パフォーマンス、お金、将来性、
挙げたらきりないけど判断すべき結果って何なんだろう?
そんなそもそも論まで考えたり分からなくなったり。
20代の頃はただやりたくて希望に震えてがむしゃらに音楽ができた。
30代になって今続けられてるのは、自分らを評価してもらい環境を作っていただけたからやってこれた。
30代後半になってあと数年で自分は40代。
どう今を評価してよいのか、難しい。
‘僕は夢に向かって頑張ってます’と僕が勝手に叫ぶのは自由だけど、周りからの受け入れられ方はもう違う。
そんなきらきらしたもんじゃないでしょう。
正解は今の僕だったらその夢は現実になってなくちゃいけない年ごろだということ。
人としては、家族には心配かけっぱなしで全然親孝行もできてないし考えたら胸が苦しい。
この13年間ずっとGLASS TOPのことを考えて生活してきたから人生の軌道修正の仕方も分からない。
そんな感じでいろんな感情がグラグラ。
一昨日ライブやって、
自分たちの音楽を自然と楽しむことができた、
というのが先ほども書いたように率直な感想で。
これまた自分がどう解釈してよいやら難しい感想なんだけれど。
結局ぎりぎりのとこでGLASS TOPの可能性を感じてしまってる自分がいた。
純粋に自分たちの音楽がここ数か月の悩みをいったんかき消すような感覚があった。
解決にはならないけど、表現としてはいったんかき消すってくらいなのかな。
結局アーティスト活動は不安や不満の連続でそれをかき消しながら進んでいくようなものかもしれない。
ちょっと思ったこと言えば、GLASS TOPはここ4年くらいあえてワンマンライブをしてこなかったんだけど、単純にごちゃごちゃ考える前にやったら楽しいだろうなとか。
やっぱりそういう音楽自体から生まれる無責任な衝動というものが何より価値があって、たぶんそれに向かい実現することがいろんな人含めての大きな喜びに変わるんだろうなとか。
ワンマンやるやらないは独断で決めれることではないですけどね。
前回のブログでこのライブは勝つか負けるかだと書いたし、このライブに結果を求めてきた。
けど恥ずかしながら終わって今感じてることは勝ち負けや結果ってそもそも何を以てのものなのか、自分で勝手に抱いて分からないという始末。
結果不思議なくらいライブ自体にあったポジティブな感覚が残ってることが事実で、それを次にどう活かすべきかということを考えてる。
この答えにそれ以上もそれ以下も是も非もない。
この話ってずっと自分の中の話であって対外の評価からの判断じゃないのでうまく言えてるのか疑問。
なんだか読んだらただの自分に過保護なお気楽ちゃんみたいな感じもするし。
一応そのつもりではないんですけどね。
捻じ曲げすに恥を置いてありのままを書いてる。
7月10日のライブは節目のライブと置いた。
だからそこで何を感じたのか、自分のためにも素直にここに書こうと思った。
いつも言ってるけど当たり前に活動できてるわけじゃなく自分の中に様々な葛藤があってそれを乗り越えながらやってる。
自分だけでやって来れたわけじゃなく様々な支えがあって今の自分がいる。
期待してもらえる自分でいること磨くこと、これは最低限のルールだ。
自分に自信が無くなった時、音楽に迷いが生じた時、他人を巻き込む資格は無くなる。
一昨日、もうダメだこりゃって思ったかもしれない。
幸い、全然自分が思ってたよりももっともっとポジティブな感覚の方が残った。
これは確かなGLASS TOPの歴史、道のりの一ページ。
その瞬間は当たり前じゃない。
一つのライブは当たり前じゃない。
僕らが音楽を奏でること、
誰かが応援してくれること、
ライブに足を運んでくること、
その時会えたこと、
全部当たり前じゃない。
在るということは奇跡的なことで感謝すべきことだ。
良いことも悪いこともちゃんと受け止めて、可能性が示す場所へ進んでいく。
今の自分なりの正解がきっとある。
人への返し方、感謝を届ける方法がきっとある。
真剣に向き合えた7月10日があったことをありがたく思ってます。
僕の話に付き合ってもらってるけど、みんなも同じように葛藤を抱きながらの日々があるでしょう。
目をそらしたり逃げたりすることは簡単だけど、向き合うからこその喜びがその先にそれぞれにあると思う。
憧れにはまだまだ遠いし、
やり直すわけにもいかない。
でもこの船を漕いで漕いで漕いで。
共に生きる同志と。
GLASS TOPって無茶苦茶かっこよい。
もっともっとそうやって言わせてやりたいな。
一昨日感じたものが間違いないのであれば、
必ず。
独断と偏見に満ちたブログ、
読んでくれてありがとう。