3/26、ソリスト兼合唱指導として関わった習志野文化ホール楽友合唱団の本番が終わりました。
習志野文化ホール長期休館前最後のコンサート、とても素晴らしい舞台だったと思います。
すべての方々に感謝申し上げます。

 


ソリストのカーテンコール。
左からバリトンの原田、テノールの宮里直樹さん、メゾソプラノの山下裕賀さん、ソプラノの中畑有美子さん。

 

 


終演後、左から原田、山下裕賀さん、マエストロの山下一史さん、中畑有美子さん、ヴァイオリンの神谷未穂さん、宮里直樹さん。

 

 

舞台リハーサルの様子。

 


習志野文化ホールが誇るパイプオルガン。
新山恵理さんのパイプオルガン演奏は、いつ聴いても素晴らしいです。

 

 

ホワイエでの合唱団の解団式。合唱指導者として皆さんにご挨拶。

 

完売御礼でした!

 

今回のプログラムに「楽友合唱団と賀子先生」というタイトルで私の寄稿文が掲載されました。

実はこの寄稿文の前に本当はもっと長い文章を書いて提出していましたが、紙面の関係で削らざるを得ませんでした。

このブログでは削る前の形の文章と今回プログラムに掲載された寄稿文を織り交ぜて、習志野文化ホールと私の思い出や合唱団の皆さんへの思いを中心として、以下に書かせていただきます。

《ありがとう、習志野文化ホール!》
 

子供の頃、私にとって地元の身近なホールと言えば習志野文化ホールだった。JR津田沼駅の南口からホールを見渡すと「習志野文化ホール」と書かれた青い文字が何とも印象的で、訳もなくワクワクしながらホールに向かうことが多かった。

 小学校時代、習志野文化ホールに隣接された当時のサンペデックホール(現・モリシアホール)でピアノの発表会に出たり、中学時代はオーケストラ部でトランペットを吹いていたのでTBSこども音楽コンクールに出たりしたが、会場はやはり習志野文化ホールだった。


 高校までトランペット少年だった私はその後声楽に転向、東京藝大を卒業し大学院に進んだ頃、2001年3月の習志野文化ホール主催によるオペラ「椿姫」公演にキャストの一人として出演が決まった。北原幸男さん指揮、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)、合唱は習志野文化ホール楽友合唱団(以下、楽友合唱団と記載)。
主要キャストはヴィオレッタ崔岩光さん、アルフレード吉田浩之さん、ジェルモン小松英典さん、アンニーナ三橋千鶴さん、その他のキャストは地元の声楽家で鈴木賀子(よしこ)さん、安藤純さん、若林浩さん、佐野拓世さんという顔ぶれで、その中に新人中の新人の私が抜擢されたのは幸運だった。

 

椿姫の初練習の時、ホールのリハーサル室に私を呼び込んで「歌ってごらんなさい」とピアノを弾き始めたのは鈴木賀子さん。歌い終わると「あなた良い声ね!」と言って下さったのが嬉しかった。練習後はいつも美味しいご飯をご馳走になりながら色々な話をしたのが懐かしい。そんな賀子さんを我々の間では親しみを込めてガコさん、ガコ先生と呼んでいた。
楽友合唱団はもちろん、私を含めた沢山の若手声楽家への指導にも余念が無く(今回出演された山下裕賀さん、宮里直樹さんも以前賀子先生のお世話になったと聞いている)、いわば実践の場として楽友合唱団の練習や本番の舞台を与えて下さった。楽友合唱団の皆さん、そして今は亡き天国の賀子先生、改めて感謝の気持ちでいっぱいである。

 

この椿姫公演がきっかけとなり、私はその後2002年12月にベートーヴェン「第九」の地元ソロデビューも伝統ある習志野第九演奏会、すなわち習志野文化ホールの舞台で果たすことができた。私にとってオペラ、コンサート共に「地元デビュー=習志野文化ホール」なのであった。
 

それ以後、有難いことに楽友合唱団、習志野第九演奏会にソリストとして何度か呼んでいただいた私だが、今回習志野文化ホールが長期休館前最後の楽友合唱団のコンサートを開催するということで、ソリスト兼合唱指導という立場で関わることになった。

特に合唱指導に関しては習志野文化ホール館長の秋山智美さんから直々にお願いされ、喜んでお引き受けした。
楽友合唱団を長年指導されてきたのはずっとお世話になってきた故・鈴木賀子先生、楽友合唱団の顔なじみのメンバーとはもう家族のような関係なので(と勝手に思っている)、断る理由が無かった。
振り返ってみると、今私が声楽家として活動している原点の一つに、間違いなく習志野文化ホールが入ってくる。
このホールで沢山経験させてもらったことは私にとってあまりにも大きい。とても感謝している。

 

習志野文化ホールが生んだ誇るべき合唱団、それは習志野第九合唱団と今回の楽友合唱団であることは間違いない。
ホームである習志野文化ホールが長期休館で、しばらくは流浪の民のごとく色々なホールを借りての活動になると思うが、この素晴らしい市民文化活動を今後も是非継続していただきたいと切に願っている。

 

習志野文化ホールの開館は1978年。ホールと私はほぼ同世代である。今回の長期休館は、まるで海外留学をする親しい友との別れに似ている。

しばらくの間お別れだが、また津田沼の地で新しく生まれ変わった親しい友との再会を心待ちにしたい。


ありがとう、習志野文化ホール!