パーキンソン症候群

パーキンソン症候群。

父はずいぶん前からそう言われている。

「パーキンソン病」という診断こそついていないが、それに当てはまる症状がある、という意味で、そういう人は非常に多いらしい。

最初におかしいなと思い始めたのは7年ほど前だが、本人はもう少し前からなんとなく自覚があったのかもしれない。

昭和男子らしく歩くのが速い人だったが、もともとひどい腰痛持ちだったし、足はすり足気味でつんのめったような歩き方だった気がする。

それが年をとって足が充分に前に出ないために歩幅が狭くなり、歩いている内につんのめりながら加速していって、ブレーキが効かなくなり転倒してやっと止まる、ということが起き始めた。

それが、80か81くらいの時だったように思う。

当時、かかりつけ医だったYクリニックで、パーキンソン症候群、ということを言われたようだ。

特に治療はない。

 

  症状を緩和してほしい

昨年の1月に、父は右の大腿骨を骨折した。

家の中での転倒はしばしば起こっていたことだが、大きな怪我はそれが初めてだ。

骨折と判明するのに3週間かかったこともあり、手術後のリハビリは時間がかかり、6月の初めにようやく退院した。

もともと足腰がしっかりしていなかったところへ大腿骨骨折が重なったので、歩行器なしでは歩けなくなった。

ことに右足は言うことをきかないようで、日によってはまったく前に出ない時もある。

これまでYクリニックの老先生とだましだましやってきたようだが、近頃、右足が前へ出ないことが増えてきたようで、老先生が昨秋引退されたのもあって、本人は歯がゆきてならないらしく、投薬なり何なりの治療をしてほしいと思い始めたようだ。

現在、木曜にクリニックへ来られている神経系の先生に診ていただいて、パーキンソン病のきちんとした診断を受け、治療で症状を緩和してほしいと考えたのだろう。

いつもは送迎付きの整骨院から自分で勝手にクリニックへ行く父だが、はじめての先生で不安かもしれないと思い、今日はわたしも付き添った。

クリニックには担当のケアマネさんが常駐していて、とても親切にしてくださる。

しばらく待って、呼ばれたので診察室へと入った。

 

  消化不良に終わった診察

どちらかといえば若めの先生が、パソコンに向かって激しくキーボードを叩いている。

医「今日はどうされましたか」

私「右足が思うように前へ出ないので…」

医「(わたしの言葉を制して)それで今日はどういう目的で来られたのですか」

…?

父本人の口から聞きたいということなのかな?と思い、わたしは黙った。

が、父と話していても同じような塩梅だ。

ただ、絶え間なくキーボードを激しく叩き続けている。

問答の全てを記録しているのだろうか??

医「その症状はいつ頃からですか」

父「さあ…、それがはっきりしまへんのですけど、このクリニックに通い始めた頃からです」

医「ですから、それはいつ頃ですか。ぼくは当時ここには居ませんでしたので、初めて通い始められたのがいつなのかは、知りません」

取り付く島もない口調だ。

父「いや…、以前はなんでも記録してましてんけど、はっきりとは…、そこ(カルテ)にありまへんのかな…」

医「ぼくが聞きたいのは、それが20年前なのか1年前なのか、そういうことです」

父と私「それなら、10年…にはならないくらいです」

医「その当時と比べて、現在は症状がひどくなりましたか」

父はここまでのやり取りですでに気分を損ねて、ムッツリしてしまっている。

症状がひどくなっているから受診したわけだが、昨年の骨折があるから単純に以前の症状そのものがひどくなったかどうかとは答えられない。

私「実は、去年、大腿骨を骨折したもので…」l

言いかけた私を、先生は素早く手で制した

医「いま聞いているのは、ひどくなったかどうかのみです。ひどくなりましたか」

いや、だから…💢、と思ったが、

私「ひどくなっています」

だから来たんです、と言いたいのをこらえる。

そこから足を動かしたり手を動かしたり、という動作の確認が始まり、少し歩いたりもさせられた。

今日は、ここ数日の中では足が前に出ている方で、その旨伝えた。

この先生にとっては無用な情報かもしれないが、こちらにとっては重要だ。

医「先程おっしゃりかけていた骨折ですが…?」

わたしのほうを向いてそう促してくる。

おや、いまから私のターンなん?

さっき手のひらで制されて、なんだかもう意気阻喪してるんですけど。

私「いましゃべっていいんですかえー

また制止されるのはうんざりなので、皮肉をこめてそう尋ねた。

医「はい、どうぞ」

昨年の骨折の経緯をようやく手短かに話した。

しかし、そういうことは、先生が今キーボードを連打しつづけながら向かい合っているパソコンに、記録として入ってはいないのだろうか?と、既に父も私もゲンナリしている。

医「ふたつのことが考えられます」

ひとつは骨折の影響、もうひとつは神経系の原因、と先生は言う。

医「しかし、足が前に出にくいという症状が骨折前からあるということなら、骨折が原因という可能性は消えますから、神経のほうが疑われます」

いや、それは初めから分かってるんだが、と思いつつ辛抱する。

医「まずはMRI を撮ります。その上で診断がつけばよし、つかなければ、さらに検査をします。なので、まず○○病院でMRI を撮ってきてもらうことになります。その後、またここへ来ていただいて診断をお伝えするということになります」

父が不機嫌になっているのがわかる。

ここまでの流れで、ほぼ先生からの質問への答え以外、父はこれまでこのクリニックでどういう診断を受けて、どのように生活してきたか、などを全く喋らせてもらえていない。

先生が自分に必要なチェックポイントのみ機械的に尋ねて、それ以外はすべて制された、という感じで、これならチェック項目の問診票を作ってもらって記入したほうが、ずっとストレスがないのではないかと感じるほどだ。

父「…今日はこれで終わりですか」

医「はい、MRIを撮ってきていただくということで」

父「…」

医「ここはクリニックなので、MRI は病院で撮ってきていただくしかありません」

「……なーんや…」

医「…?」

まあ、しかたがないのは分かるが。

神経系のお薬を出すのは、なかなか難しいだろうし、まずは診断名をつけるための検査しかない。

父も理屈はわかっているだろうが、たとえば、これまでの経緯とか、今困っていることとかを聞いてもらえたり、何か現時点でできるアドバイスをもらえたりすれば、ずいぶん違ったのだろう。

父にとってはクリニックに行くだけでも大仕事だ。

往復介護タクシーを使ったので、それだけで7千円以上かけてもいる。

先生がキーボードに打ち込むための項目をチェックするだけで終わってしまったことが、大いに失望したらしいのはよく理解できた。

 

  2枚のカード―――父の勲章

父の財布から、窓口で支払いをした。

これまでにも、父の財布からお金を出したことはあったが、今日ふと気づいたことがある。

財布の中に、運転履歴証明書と、水○社の古いテレカがあったのだ。

父は84くらいまで車を運転していた。

80を過ぎて、くだんの症状が出始め、少しずつひどくなっていっても、父は自分で買い物にも行きたがった。

バス停まで歩けないから、車を運転した。

高齢で、しかもヨタヨタ歩いているおじいさんが運転席からモタモタ降りてくるのを見れば、誰でも「え…」となるに違いない。

実際、危険だと思うから早く免許を返上してほしかったが、免許返上イコール外出不能になるのも分かっていたから、なかなか無理強いができなかった。

わたしが父の買い物をするようになってからも、なかなか車を手放そうとはしなかったが、ようやく返納してくれた時にはホッとした。

父は免許を取ったのが遅く、40を過ぎてからだったと思う。

それ以来、障害のあった母や自分の両親のために、車はなくてはならない移動手段だった。

それだけに、運転履歴証明書は、父にとって自分の頑張ってきた証明なんじゃないかと思う。

 

そして、もうひとつの、水○社の古ぼけたカード。

なぜそれが入っているのかは分からない。

わからないが、父は昔、国家公務員として労働関係の役所に勤めていた。

定年まで勤め上げ、そのあとも出向して勤めた。

水○社は、仕事の中で大きな関わりがあったはずだ。

完全にリタイアしてもう20年近くたつ。

その間、80までは母の介護に追われたが、リタイアまで50年ほど勤めた仕事は、父にとってやはり生きてきた証明だろう。

 

運転履歴証明書と水○社のカード。

たった2枚のそのカードに、どれほどの思いが詰まっているのかと思うと、胸に迫るものがあり、目頭が熱くなった。

父の人生は思い通りにならないことばかりだったが、文句を言わずに黙々とやってきたことを知っている。

やりたいことは何ひとつせず、親のため、妻のためばかりの人生だった。

そんな中で、この二枚のカードが勲章なのではないか、とそんな気がしたのだ。

今朝、朝ドラではヒロインの父が人生の終わりを迎えようとしていた。

ヒロインと父親の歌う『父ちゃんブギウギ』で泣かされたのも、まだ引きずっている。

 

人間、二十歳には二十歳なりの、還暦には還暦なりの、そして最晩年には最晩年なりの、生きてきた歩みがある。

わたしの人生を象徴するものは、果たしてなんだろう。

わたしが晩年、財布に忍ばせるものは、果たしてなんだろうなと、そんなことを考えた。