私の父は新聞社のサラリーマン、父の実家は左官屋さん、母の実家は沖仲仕(港湾労働者)だったので、育った環境には毛皮の”ケ”の字もありませんでした。

 

中学生の頃から読書が好きで、夏目漱石などの他に、カミユの異邦人やシジフオスの神話、カフカの変身などを、タイトルに惹かれ読み始めたばかりに素直でない少年に育っていきます。

高校生では、大江健三郎、柴田翔、高橋和巳などの安保闘争がらみの本が多くなり、そこにボーボヤールやマルローが加わってすっかり理屈っぽい青年になりました。

 

大学時代は、大学闘争がピークを過ぎた頃でしたが、そちらには批判的でしたので全く加わらず、もっぱら洋画を中心に映画三昧でした。ハリウッドの大作(ベンハーやアラビアのロレンス)、俺たちに明日はない、卒業、明日に向かって撃て、そしてフランスヌーヴェルバーグの勝手にしやがれ、軽蔑、娯楽映画では”冒険者たち”が最も好きでした。そして、”大いなる勇者”との出会い。(コメデイー、オカルト、ラブロマンス物以外なんでも見ました。)

 

それらの映画から、私は普通のサラリーマンになるのは向かないと思っていましたので、就活もしませんでした。

 

ほとんどの同級生が就職が決まり、私も一応どこかに就職してみるかと思ったのが8月の終わりで、たまたま親戚が勤めていた会社が毛皮会社であったのでそこに面接に行き、就職する事になりました。(どのみち、長くは勤まらないだろうと思っていましたが。)

 

最初の3か月が工場で研修でしたが、実際は鞣し作業の手伝いで、毛皮と薬品のにおいが嫌で結構休んでいました。

 

4か月目から本社勤務となり、毛皮原料を良く知る為に倉庫番となりました。そこには鞣し上がった毛皮の原料が数十種類で2万枚位あり、数量管理と毎月の棚卸をしながらすべての毛皮に触れながら働いていました。(別に、工場の倉庫にも5万枚位の在庫があり、それも私の管轄でした。)

 

実際、初めの内は嫌々働いていました。多くの動物の死骸の中にいて

気持ち悪いし、鳴き声が聞こえるような気もして、いつ辞めようかと考えていたのを覚えています。

 

ある時、毛皮の中で、触れた時に何とも言えず気持ちの良い種類があり、なんだこれは?とショックを受けて触り続けてしまったのがロシアンセーブルでした。生まれて初めての感触で、仕事も忘れて一日1時間以上毎日触っていたと思います。

 

これが私と毛皮の初めての出会いでした。この出会いがなければ毛皮屋にはなっていなかった筈です。(だんだん知識が増えてくると、チンチラやリンクスやミンクのトップクオリテイーでも最高の感触があるのが分かりました。)

 

あれから47年、今でも我を忘れる程のしびれる毛皮を捜すが生きがいです。(2年間、コロナでオークションに行けていないので、全く楽しくありませんが。)